棚守房顕覚書134 島廻式のこと

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棚守房顕覚書134 島廻式のこと

一つ、当社の島廻りの事です。以前より毎年、六家衆の7人と、両棚守(厳島神社本社と客神社の棚守?)と田楽頭の10人で、まず次第(順序)として御床神社に入り、昔は合島廻りが多かったので、日暮れに入ることもありました。今後もこのことは存知すべきものです。

戦国時代の御島巡り

御島巡りについての記述です。
しかし、現在の御島巡りとは随分と違うところがこの短い文章から分かります。御床神社が最初に行くべき場所になっているところが現在と違います。現在は、厳島神社の北の長浜神社を最初に時計回りに巡って、最後の御床神社に行き、その後、島に上陸して大元神社で終了です。

この覚書に書いてある通りならば、御床神社から出発して、各地を巡ったことになります。逆に移動したという記述はないのですが、御床神社から反時計回りに長浜神社に到着した…ということなのかもしれません(多分違うけどさ)。

宮島と御島巡り

ところで、宮島は一時期、「住民がいなかった」…禁足地だったとも言われています。実際には人が住んでいたようですが、少なくとも「住むべきではない」という感覚はあったのではないかと思います。
その頃、宮島に上陸するには、御島巡りで巡る神社を巡った上で、長浜神社で食事をします。長浜神社が竃(カマド)の神なのは、そういう所以があるわけです。となると、お島巡りで回る順番は、長浜神社が最後というのが「筋」なんですよね。つまり、御床神社から反時計回りに回るというのが筋。覚書の記述は正しいのでしょう。お島巡りで回る神社はすべて「お祓い」の神様で、そこで全身を清め、その上で清らかな食事を取って、上陸するというのが「筋」だったわけです。
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