棚守房顕覚書97 元就献金

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棚守房顕覚書97 元就献金

ある時、小早川殿(=小早川景隆)・吉川殿(=吉川元春)の祈念のために黄金を二枚、毛利元就から下さりました。一枚は舞楽料とし、一枚は外宮の庁屋(神への供物を作るために使う小屋)を立てるのに使いました。先年、大般若経を棚守房顕が寄進し、御輿(=神輿)なども調整したのは、棚守房顕です。御旅所(=神を乗せた神輿が宿泊する場所)、御供屋も建て置きました。

小早川・吉川の祈念

毛利元就が子供達の安寧・繁栄を願って黄金を二枚、棚守房顕にあげた。そのうち一枚は棚守が舞楽を舞った代金として懐に入れた。棚守房顕はそもそもが舞楽の家の人間で、そちらが専門。ただ、小早川・吉川の「祈念」ということは、黄金は当然ながら本来は「厳島神社の神」のものであって、果たして棚守が懐に入れてしまっていいものやら。まぁ、棚守房顕は大内の時に給料の分配をする権利を得ているので、毛利になってもその権利を得ていたのでしょうね。
もう一枚の黄金で、地御前神社(外宮)の庁屋を建てるのに使った。

大般若波羅蜜多経

大般若経というのは「大般若波羅蜜多経」のこと。600巻に及ぶ凄まじい量のお経で、この超絶凝縮版が「般若心経」。般若心経は大般若経を300文字以下にしているわけで、有難いような、簡略しすぎのような。
棚守房顕はこの大般若経を「先年」、寄進したという。当然、地御前神社に寄進でしょう。先年というのは「去年」ではなく、「いつぞやの」くらいのことで、この覚書を書いているより「前」程度のことかもしれない。

で、大般若経だけでなく、御旅所、御供屋も建てたという。ちょっと棚守房顕は「金持ち」過ぎやしませんか。本当だとすると「かなり利益を独占していた」ということになるような。それともやはり、宮島で女郎屋を運営していたのか??
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