棚守房顕覚書15 大内義興の帰国と神主職

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棚守房顕覚書15 大内義興の帰国と神主職

一、大内左京大夫義興(=大内義興)は京に11年居て、湯治のために摂津国有馬の湯に入り、そのまま直ちに堺の港に至り、(京から)下りました。京都から(下ってから)色々な事情で致し方なく留まっていたので、堺に三年ほど居て、永正5年(1508年)辰の年から後の永正17年(1520年)辰の年…13年ぶりに(京から)下りました。

永正15年か17年か

新井白石の続史余論によると永正15年に「在京14年で財が尽きたので帰った」とあります。厳島での東西の紛争があり、地元がグラついたのも事実で、お金も無くなったか、厳しくなったというのも十分ありうる話です。
永正17年なのか永正15年なのかは、なんとも。他の資料では15年になっているので、大内義興に帰国は15年でしょう。

このズレは記憶違いか、それとも認識の差か。認識の差というのは、「日本史・歴史」的には京都からいなくなることが「帰国」のポイントになるが、棚守など広島にいる者からすれば、大内が山口や広島に帰ることが「帰国」のポイントになる。そういう認識の差が15年と17年の差じゃないかと。有馬温泉や堺に滞在したことがこの差を広げた理由だと思います。
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