棚守房顕覚書93 元就山口へ進攻

MENU
TOP >> 棚守房顕覚書(資料) >> 棚守房顕覚書93 元就山口へ進攻棚守房顕覚書(資料) 資料
スポンサードリンク

棚守房顕覚書93 元就山口へ進攻

その後、(毛利元就は)小方(廿日市市)・岩国(山口県岩国市)の城を切り取り、玖珂(山口県玖珂郡)の鞍掛城の杉治部大輔(杉隆春)に腹を切らせ、千束の要害を切り取り、須々万城に下向しまして、この城を切り取り、(大内側が)富田、若山を明け渡し、退却し他ので、山口に入りました。

戦後処理

厳島合戦が終わり、その戦後処理を終えると、毛利元就は山口へと進攻。戦国時代ですから、やられる前にやる!ってのは当然。

君主の大内義隆を下克上で自害に追い込んだ陶隆房。その陶隆房を倒した毛利元就。毛利元就は大内の家臣であり、あくまで安芸国の…一地方の家臣の一人でしか無いのです。それが、ここで陶隆房を倒したことで、中国地方の権力者として君臨することとなるのです。その「正当性」はあくまで、「大内を裏切った陶を倒したこと」にあったのではないか?と思うのですよね。上にも書きましたが、何せ戦国時代ですから、そんな「正当性」というか秩序なんてどこまで価値があるのか怪しいのですが、それなりのルールってあったでしょう。この後、大内義長を殺し、陶隆房の子供の鶴千代丸を殺します。大丈夫なんでしょうか。ま、大丈夫なんですけど。
前のページ…「棚守房顕覚書92 元就下山
次のページ…「棚守房顕覚書94 義長、鶴千代丸の最後

棚守房顕覚書(資料)の一覧

スポンサードリンク

ブログや掲示板に紹介する場合

ブログやサイトに紹介する場合(タグ)

編集