棚守房顕覚書147 大明神の御位のこと

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棚守房顕覚書147 大明神の御位のこと

一、聖護院殿、朝山日乗上人、在島の節、仰せらるる事に、当社の大明神は未だ御位付かざる御神なれば、天下へ言上し理り、正一位の上に申し調ふべしとの仰せごとども候ひき、高倉院当社へ御幸の由、又、弥山の鐘の文の儀を申す所に門跡は御欣びのことのみに候、それ以後、宝蔵の往古よりの目録等を御目にかけ候、これらの理を申したりとて、吉田より事の他御褒美なり。

現代語訳

聖護院(=天台宗の聖護院門跡)と朝山日乗(=日蓮宗の僧侶)が宮島にやってきたことがありまして、その時、おっしゃるには、厳島神社の大明神は未だ位がついていない神なので、天下(=将軍?)にお願いして、正一位の上に調整したらいいと言われました。
高倉上皇が厳島神社にやってきたこと、また、弥山の鐘の文(=弥山の大梵鐘)のことを申すと門跡は喜びまして、それ以後、宝蔵の古くからの目録をお目にかけました。これらの理由をもうしたとして、吉田(=毛利)はことのほか、褒めました。

解説

神様には神階という神様のランク付けがありまして、それがこの時点では「棚守房顕覚書」によれば無かった。実際にはかなり低いですがあったようです。しかし厳島大明神の名声にはふさわしくない。そこで聖護院殿、朝山日乗は「正一位(=トップの神階)」をお願いしてもいいんじゃないか?と棚守に言った。
平安時代に高倉上皇が来たことや、弥山の大梵鐘に平宗盛の名前が書いてあることなんかを言うと、聖護院殿は喜んだので、宝蔵の目録を見せた。ま、推薦してもらうために、こんなすごい宝があるんだぜ!と自慢したというか、仲間に引き込んだというか。
そのことを毛利も喜んだわけです。

これ以上のことは書いてないんですが、厳島神社は正一位を受けます。

応仁の乱以後、京都で仕事を失った公家などが地方へと出稼ぎに向かうことで、京都の文化が広がっていきます。その過程で神階の価値を棚守などの地方の人間が強く感じるようになったのではないかと。ひっくり返すとそれまでの日本の地方都市は独自の文化を持って、独自の価値観を持っていた。それが「壊れた」という言い方も出来ます。
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