棚守房顕覚書27 義興の船の火事

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棚守房顕覚書27 義興の船の火事

大永5年(1525年)2月22日。大内義興は大野(廿日市大野町)の門山をご覧になりに(宮島から)渡海して留守にしました。在ノ浦の沖に繋ぐ御座船に火事が在りました。その日の船番の能美孫三郎は御船にあった御幡箱(旗を収める箱)を手に取り、持ち、沖の舵に取り付き、助かりました。そうしていると大野から(大内義興が)帰島しました。船のその日の番だった能美孫三郎は、切腹させられるかと思って居たが、そうではなくて、義興の上意によると、能美孫三郎は若輩であるのに、御幡を心にかけて、取りあげたことは比類なしであるとして、防州田布施の50貫足の所領を遣わせました。この世には覚えのないことです。

道徳的説話

大内義興が宮島から大野の門山に行って留守にしている間に、在ノ浦にあった大内の船が火事になってしまった。ちなみに在ノ浦は現在の大鳥居の東側にある長い砂浜のあたりのことです。その日の船の番をしていた能美孫三郎は、御幡箱はどうにか持ち出しましたが、当然、火事の責任を問われて切腹させられると思って居たら、大内義興は「若輩なのに、幡を大事に思うのは立派な心がけだ!」と所領を与えたという、えぇ話です。
ちょっと脚色があるんじゃないかと疑いたくもなりますね。

どうして火事になっちゃったのでしょうか。
当然、人は乗ってないでしょう。
もしかすると、友田か敵対する人物による放火なのかもしれません。
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