棚守房顕覚書146 島中法度のこと

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棚守房顕覚書146 島中法度のこと

一、当島あまりみだりなる故か、狐狼在島の間、往古の如く神主殿を桜尾に置かれ、島中の法度を前の如く下知なさるべし。

社辺の砂のこと
社辺の砂の事、三家社参なされ、退けらるべしとの御願書は、房顕に御願書二通、御書三通、有りて定まるなり。然りと言えども、御弓矢御繁多に付き御延引なり。何れもこの両條は、御油断あるべからざる間、何れも御調べあるべきものなり。

現代語訳

宮島があまりに乱れているが故か、キツネや狼がいる間は、昔のように神主殿を桜尾城に置いて、島の中の法度(=ルール)をかつてのように下知(=下々のものたちに伝える)するべきである。

厳島神社の周辺の砂のこと
厳島神社の周辺の砂のことです。毛利・吉川・小早川の三家が神社に参拝しまして、「砂を取り除くべき」というお願いの文書を提出しまして、棚守房顕から願書が二通提出され、毛利側から三通が帰ってきました。それで砂を取り除くことが決まりました。しかし、弓矢…合戦が頻繁にあったので砂を取り除くこと(=砂普請)は延期になりました。このことは、油断せず、調整されなくてはいけないことです。

解説

天文10年(1541年)5月に土砂崩れがあり、土砂が厳島神社の境内…現在の潮が満ち引きするところに流れ込みました。その砂を除去するように棚守は毛利に願書を出し、それが認められたのですが合戦が多く、毛利はそれどころではなかった。ですが、どうにかしてほしい。結局は砂は除去されるのですが、かなり長期間…実際に砂が取り除かれるのが天正9年(1582年)ですから40年以上も砂がそのままだったのです。棚守がイライラする気持ちは分からないでもない。何せ厳島神社は海上神殿だからこそ価値があるのです。浜が埋まればただの普通の神社。どうにかしてほしいでしょうね。

それに1571年には毛利によって厳島神社は修繕されている。そこまでするんなら、砂もどうにかしてよ!って話です。若干厚かましい気もしますが。
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