棚守房顕覚書113 正月行事繰延

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棚守房顕覚書113 正月行事繰延

その年(=永禄12年=1569年)の御衣祭(=現在の御神衣献上式)は、1月25日を12月にし、1月30日を極月(=12月=ここでは12月30日)として、客人は神の御前に籠り、2月1日を元日として、三ケ日のいずれも神事祭礼を失効しました。弓始め、そのほかの祭礼も旧例のように失効しました。

御衣祭

厳島神社では毎年、御神衣献上式(覚書では御衣祭)を行います。大・中・小の衣を厳島大明神に献上する儀式で、これによって神の霊威を回復させるのではないかと思うのですが、まぁ、細かいことは置いておきます。

この御神衣献上式は毎年12月28日に神官が厳島神社本社に篭って「神のための衣」を新調します。その新調した衣を、正月の明け方に本殿・客神社に献上する儀式です。かなり歴史のある神事だと思われます。

棚守は御神衣献上式を特別視している

棚守はこの儀式をかなり「特別視」していて、「棚守房顕覚書19 厳島神衣祭」では、友田興藤が厳島神社の神主でありながら厳島神社の神官たちと敵対した時に厳島神社の神衣祭を行わなかったことを批判しています。他にも問題はあったろうに「そこ」を第一に挙げ、神衣祭に必要な費用を大内義興(=大内義隆の父)が援助したことを書いています。のちに大内と厳島神社の関係が深まる一つの要因になります。
実際に、神衣祭は厳島神社の根幹をなすような大事な儀式だったのだと思われます。

それが毛利元就による和知兄弟(=和智誠春・湯谷元家)の拉致監禁・殺害のために12月・1月の大事な時期に厳島神社が閉鎖され、神事が行えなかった。仕方なく1月の25日を12月と規定して、2月1日を元旦として、ズラして儀式をした。他の儀式に関してもズラして行ったことを書いてあるんですが、何よりは御神衣献上式だと棚守は言っている。つまり棚守は明らかに「御神衣献上式」を特別に考えているようなんです。
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