棚守房顕覚書46 房顕、大内の御師となる

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棚守房顕覚書46 房顕、大内の御師となる

天文10年(1541年)2月10日。召文(呼び出すための文書)を下されたので、参上すると、防州の御師役についてのことでした。前々から、徳寿内侍が存知だったのですが、2、3度の御弓箭(=合戦のこと)の時にも宮島におらず、男と共に陸地に居た。女の無沙汰(=音信不通のこと)なのは是非に及ばず(=無意味)の次第です。どうしたものかと思い、一応に仰せつけられました。御師職のことは、棚守房顕に仰せつけられ、子々孫々末代まで知行あるべしとして、防州日積(現在の柳井市日積)の破石の15石と西條の御反銭(=寺社の運営費)32貫との御書と御判を下され、罷り上る(=宮島に帰る)。

解説

戦国武将は合戦の前に神社で戦勝祈願をします。戦争ってのは昔から神様の機嫌を取った方が勝つものでした。だから神社に奉納し「勝利」をお願いします。これは知将で謀略家の毛利元就でもそうです。

中でも文化的大名の大内としては、戦争前に古来からの戦神の厳島神社伊都岐島大明神に祈願してから戦争をしたいものです。で、祈願は「御師」を通じてするものです。御師は神との間を取り持つものです。御師がいないと神様に祈願ができない。ところが、大内の御師だった厳島神社の徳寿内侍という巫女さんは、合戦の時の肝心な時に島におらず、陸地で男と会っていた。大事なのは男と会っていたことではなく、合戦前に島にいないことでしょう。これでは祈願できず、安心して合戦ができない。そこで、そんな「無沙汰」がちの内侍ではなく、棚守房顕に「御師」をお願いすることにした。棚守としても願ったり叶ったり。これで、棚守房顕は陶・毛利・大内と大物どころはほとんどカバーしたことになりますね。

棚守に知行が

しかも、個人的に「知行」を与えられています。知行ってのは領地です。棚守房顕は神社の一神官です。決して、神主ではありませんし、役職としては下っ端です。それが領地を手に入れた。うーん、すごい。
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