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棚守房顕覚書136 親の忌のこと
一つ、親の忌の事。
向月(=亡くなった月の十三ヶ月後のこと)に添月(ソイツキ)は社参(=神社の参拝)しないで、死んだら随って地(=宮島の向かいの土地…大野村)に遣わしました。その船は当島へ渡りますが、七日は島へ降りず、七日過ぎれば、陸へ降り、用を便ずる(=用事をする)。75日になり、当島の奥まで戻り、90日になれば、また忌に入り、96日で我が家に入り、99日に百ケ日を弔います。102、3日で人に寄り合います。
なお、当島で7月火(=死者のでた家で七ヶ月経っていない火のこと)を食べないところは、座主(=大聖院)、上卿、祝師、両棚守(=厳島神社と客神社の棚守)、御灯の六ヶ所です。なお、陸地は外宮棚守(=地御前神社の棚守)、神主殿、政所、惣公文、この四ヶ所です。
父方のヲウジ、姥(ウバ)、叔父(オジ)の忌は共に90日、父方のイトコは3日、橋の間まで隔つ、7日過ぎれば社参できます。
母方のヲウジ、姥(ウバ)、叔父(オジ)は10日、忌で30日過ぎれば社参できます。母方のイトコは7日社参してはいけない。
山送りの出家たちは地(向かいの大野村)へ降りたのならば、7日は社参してはいけない。地に降りなかったのであれば、3日すぎれば社参できます。
チノウノ忌(=血の忌の事)の事は、12日で我が家に入り、14日で出仕します。
妊娠して七ヶ月経てば、社家は殿上役をせず、母が子を産んで75日で我が家に帰ります。81日で社家は殿の火を合わせます。
子が生まれて75日のうちに、産屋(=出産する小屋)で死んだ場合は、忌は多くせず、76日にもなれば本忌にいまる?
鹿火(=鹿を焼くこと)のことです。合火75日、またその合火33日、猪、鹿、合火33日、またその合火21日です。書記に及ばず。
当島にはその沙汰(=行為=ここでは動物を焼くこと)は及ばざることです。よくよく遠慮すべきことです。
向月(=亡くなった月の十三ヶ月後のこと)に添月(ソイツキ)は社参(=神社の参拝)しないで、死んだら随って地(=宮島の向かいの土地…大野村)に遣わしました。その船は当島へ渡りますが、七日は島へ降りず、七日過ぎれば、陸へ降り、用を便ずる(=用事をする)。75日になり、当島の奥まで戻り、90日になれば、また忌に入り、96日で我が家に入り、99日に百ケ日を弔います。102、3日で人に寄り合います。
なお、当島で7月火(=死者のでた家で七ヶ月経っていない火のこと)を食べないところは、座主(=大聖院)、上卿、祝師、両棚守(=厳島神社と客神社の棚守)、御灯の六ヶ所です。なお、陸地は外宮棚守(=地御前神社の棚守)、神主殿、政所、惣公文、この四ヶ所です。
父方のヲウジ、姥(ウバ)、叔父(オジ)の忌は共に90日、父方のイトコは3日、橋の間まで隔つ、7日過ぎれば社参できます。
母方のヲウジ、姥(ウバ)、叔父(オジ)は10日、忌で30日過ぎれば社参できます。母方のイトコは7日社参してはいけない。
山送りの出家たちは地(向かいの大野村)へ降りたのならば、7日は社参してはいけない。地に降りなかったのであれば、3日すぎれば社参できます。
チノウノ忌(=血の忌の事)の事は、12日で我が家に入り、14日で出仕します。
妊娠して七ヶ月経てば、社家は殿上役をせず、母が子を産んで75日で我が家に帰ります。81日で社家は殿の火を合わせます。
子が生まれて75日のうちに、産屋(=出産する小屋)で死んだ場合は、忌は多くせず、76日にもなれば本忌にいまる?
鹿火(=鹿を焼くこと)のことです。合火75日、またその合火33日、猪、鹿、合火33日、またその合火21日です。書記に及ばず。
当島にはその沙汰(=行為=ここでは動物を焼くこと)は及ばざることです。よくよく遠慮すべきことです。
宮島と穢れ
宮島は穢れを嫌います。親が死んだ場合、向かいの本土に渡って遺体を渡したあと、なんやかんやあって我が家に帰られるのはなんと96日目。三ヶ月は家に帰られない。厳しすぎやしませんかね。その他のことも色々と書いてあります。
また七ヶ月の間は死者の出た家の火で作った食べ物を、寺社と関係者は食べてはいけないのですね。死者の出た家の火も穢れているからです。
また七ヶ月の間は死者の出た家の火で作った食べ物を、寺社と関係者は食べてはいけないのですね。死者の出た家の火も穢れているからです。
また妊娠についても厳しい。妊娠七ヶ月経ってお腹が膨らんできたら、家族は神社に関わってはいけないし、出産後も75日経つまでは家に帰られず、81日に聖なる火をもらってやっと飯炊きができるという面倒さ。
動物を焼くことについてもかなり厳しいです。その焼いた「火」が穢れているという認識なのが面白い。
前のページ…「棚守房顕覚書135 島中禁制のこと」動物を焼くことについてもかなり厳しいです。その焼いた「火」が穢れているという認識なのが面白い。
次のページ…「棚守房顕覚書137 月水日数のこと」
棚守房顕覚書(資料)の一覧
- 棚守房顕覚書1 厳島神の鎮座
- 棚守房顕覚書2 平清盛の崇敬
- 棚守房顕覚書3 高倉院の御参詣
- 棚守房顕覚書4 平清盛厳島神社を造営する
- 棚守房顕覚書5 平家の敗亡と二位の尼御前
- 棚守房顕覚書6 鎌倉幕府の神主任命
- 棚守房顕覚書7 西回廊の消失
- 棚守房顕覚書8 多賀谷氏の暴戻
- 棚守房顕覚書9 神主興親と国元の状況
- 棚守房顕覚書10 東党と武田元繁
- 棚守房顕覚書11 東西対立と厳島
- 棚守房顕覚書12 東西の抗争と上卿
- 棚守房顕覚書13 尼子経久鏡山攻略
- 棚守房顕覚書14 大内義興の入京とその後
- 棚守房顕覚書15 大内義興の帰国と神主職
- 棚守房顕覚書16 小方・友田の神主職愁訴と義興の神領経営
- 棚守房顕覚書17 友田興藤自ら神主と称す
- 棚守房顕覚書18 大内氏興藤を討たんとす
- 棚守房顕覚書19 厳島神衣祭
- 棚守房顕覚書20 房顕陶尾張守と対面
- 棚守房顕覚書21 神領衆と防州衆との合戦
- 棚守房顕覚書22 大野女瀧の合戦
- 棚守房顕覚書23 桜尾城の攻防
- 棚守房顕覚書24 大内義興と神主興藤との和議
- 棚守房顕覚書25 大内義興父子の滞在と社参
- 棚守房顕覚書26 興房の連歌興行と義興饗応
- 棚守房顕覚書27 義興の船の火事
- 棚守房顕覚書28 陶興次の帰国
- 棚守房顕覚書29 陶尾張守岩戸山より矢野へ進出
- 棚守房顕覚書30 大内氏九州衆の後援を得て安芸の諸城を攻略する
- 棚守房顕覚書31 豊州衆の帰国
- 棚守房顕覚書32 大内義興の帰山と逝去及びその後
- 棚守房顕覚書33 広就山口に下る
- 棚守房顕覚書34 大内義隆父子の出陣
- 棚守房顕覚書35 房顕、毛利氏の御師となり巻数を上る
- 棚守房顕覚書36 毛利氏の寄進
- 棚守房顕覚書37 房顕岩国に義隆と対面
- 棚守房顕覚書38 弘中越中守社参
- 棚守房顕覚書39 外宮宝殿の修理完工
- 棚守房顕覚書40 外宮遷宮
- 棚守房顕覚書41 義隆歳暮の御供
- 棚守房顕覚書42 神主家の滅亡とその後の大内氏
- 棚守房顕覚書43 青三井の合戦
- 棚守房顕覚書44 厳島鳥居沖の戦
- 棚守房顕覚書45 房顕、義隆に対面
- 棚守房顕覚書46 房顕、大内の御師となる
- 棚守房顕覚書47 房顕、社家奉行となる
- 棚守房顕覚書48 尼子氏の武器のこと
- 棚守房顕覚書49 義隆、陣を大野門山に進める
- 棚守房顕覚書50 義隆、陣を七尾に進む
- 棚守房顕覚書51 桜尾城陥落
- 棚守房顕覚書52 神主家滅亡
- 棚守房顕覚書53 大内軍佐東金山城を攻める
- 棚守房顕覚書54 房顕、七尾に義隆と対面、義隆社参
- 棚守房顕覚書55 義隆ら外宮社参
- 棚守房顕覚書56 金山城陥落、新羅三郎の鎧
- 棚守房顕覚書57 義隆金山城に移る、房顕ら対面する
- 棚守房顕覚書58 義隆の戦後処理、房顕の斡旋
- 棚守房顕覚書59 義隆三入に移る
- 棚守房顕覚書60 神領のこと
- 棚守房顕覚書61 寄進の神馬のこと
- 棚守房顕覚書62 神主と社家
- 棚守房顕覚書63 卜部兼右の来島
- 棚守房顕覚書64 義隆出雲に軍を進める
- 棚守房顕覚書65 恒持戦死、義隆ら帰山
- 棚守房顕覚書66 土佐一條殿の御息所来島
- 棚守房顕覚書67 萬里小路惟房社参
- 棚守房顕覚書68 広橋兼秀社参
- 棚守房顕覚書69 一条房通社参
- 棚守房顕覚書70 二條尹房社参
- 棚守房顕覚書71 九條稙通社参
- 棚守房顕覚書72 万句連歌興行
- 棚守房顕覚書73 毛利氏の信仰・広元興元の参詣
- 棚守房顕覚書74 天神堂建立
- 棚守房顕覚書75 房顕上京
- 棚守房顕覚書76 房顕、参宮・高野詣
- 棚守房顕覚書77 陶晴賢の謀叛
- 棚守房顕覚書78 厳島及び桜尾城の状況
- 棚守房顕覚書79 金山城と毛利氏
- 棚守房顕覚書80 義隆ら山口を去る
- 棚守房顕覚書81 義隆以下自刃
- 棚守房顕覚書82 備後の江田氏を討つ
- 棚守房顕覚書83 陶晴賢と毛利元就・大内氏の後継者
- 棚守房顕覚書84 吉見氏と陶氏と毛利氏
- 棚守房顕覚書85 折敷畑の戦
- 棚守房顕覚書86 厳島の戦(1)
- 棚守房顕覚書87 厳島の戦(2)
- 棚守房顕覚書88 厳島の戦(3)
- 棚守房顕覚書89 厳島の戦(4)
- 棚守房顕覚書90 戦後余話児玉新五郎のこと
- 棚守房顕覚書91 龍ケ窟の決戦とその後・弘中父子及び僧了善の自刃
- 棚守房顕覚書92 元就下山
- 棚守房顕覚書93 元就山口へ進攻
- 棚守房顕覚書94 義長、鶴千代丸の最後
- 棚守房顕覚書95 元就の厳島社崇敬
- 棚守房顕覚書96 外宮棚守のこと
- 棚守房顕覚書97 元就献金
- 棚守房顕覚書98 聖護院准后来島・連歌興行
- 棚守房顕覚書99 銘刀荒波のこと(1)
- 棚守房顕覚書100 銘刀荒波のこと(2)
- 棚守房顕覚書101 銘刀荒波のこと(3)
- 棚守房顕覚書102 銘刀荒波のこと(4)
- 棚守房顕覚書103 銘刀荒波のこと(5)
- 棚守房顕覚書104 銘刀荒波のこと(6)
- 棚守房顕覚書105 銘刀荒波のこと(7)
- 棚守房顕覚書106 蘭奢待等の寄進
- 棚守房顕覚書107 飛鳥井雅教・飛鳥井雅綱来島
- 棚守房顕覚書108 聖護院准后来島・連歌興行
- 棚守房顕覚書109 細川隆是来島
- 棚守房顕覚書110 毛利氏千部経執行
- 棚守房顕覚書111 観世太夫一行来島演能
- 棚守房顕覚書112 和知兄弟のこと
- 棚守房顕覚書113 正月行事繰延
- 棚守房顕覚書114 社殿建替と遷宮
- 棚守房顕覚書115 神道伝授
- 棚守房顕覚書116 碁打専哉のこと
- 棚守房顕覚書117 兼右へ贈物の太刀のこと
- 棚守房顕覚書118 元祐経所に死去のこと
- 棚守房顕覚書119 狐狼在島のこと
- 棚守房顕覚書120 毛利氏尼子勝久を上月城に亡す
- 棚守房顕覚書121 毛利氏宇喜多直家を攻める
- 棚守房顕覚書122 隆元神事祭礼を復旧す
- 棚守房顕覚書123 大湯再興のこと
- 棚守房顕覚書124 房顕風呂を焚かせる
- 棚守房顕覚書125 房顕隆元に対面
- 棚守房顕覚書126 毛利氏九州遠征
- 棚守房顕覚書127 大内輝弘亡ぶ
- 棚守房顕覚書128 毛利一党社参
- 棚守房顕覚書129 正月の席争のこと(1)
- 棚守房顕覚書130 正月の席争のこと(2)
- 棚守房顕覚書131 神子内侍のこと
- 棚守房顕覚書132 宝蔵の目録のこと
- 棚守房顕覚書133 高煙停止のこと
- 棚守房顕覚書134 島廻式のこと
- 棚守房顕覚書135 島中禁制のこと
- 棚守房顕覚書136 親の忌のこと
- 棚守房顕覚書137 月水日数のこと
- 棚守房顕覚書138 義隆御請文
- 棚守房顕覚書139 野坂家家宝のこと
- 棚守房顕覚書140 宝蔵のこと・盗賊侵入のこと(1)
- 棚守房顕覚書141 宝蔵のこと・盗賊侵入のこと(2)
- 棚守房顕覚書142 房顕修理太夫となる
- 棚守房顕覚書143 将軍義昭 劔、神馬料奉納
- 棚守房顕覚書144 毛利氏宿所のこと
- 棚守房顕覚書145 烏帽子直垂の衆
- 棚守房顕覚書146 島中法度のこと
- 棚守房顕覚書147 大明神の御位のこと
- 棚守房顕覚書148 石田助十郎のこと
- 棚守房顕覚書149 神泉寺寺領のこと
- 棚守房顕覚書150 蔵福坊智厳のこと
- 棚守房顕覚書151 僧坊処置のこと(1)
- 棚守房顕覚書152 僧坊処置のこと(2)
- 棚守房顕覚書153 僧坊処置のこと(3)
- 棚守房顕覚書154 座主良弁の死
- 棚守房顕覚書155 慈光院快惟のこと
- 棚守房顕覚書156 管弦当役及び会所と会所坊主
- 棚守房顕覚書157 島巡式・鳥喰式のこと
- 棚守房顕覚書158 観音堂の修理竣工
- 棚守房顕覚書159 奥書
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