大元神社(厳島神社摂社・宮島)

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大元神社の概要

建築本殿…三間社流造、板葺き
祭神国常立尊(クニノトコタチノミコト)、大山祇神(オオヤマズミノカミ)、保食神(ウケモチノカミ)
創建時期不明…仁安三年(1168年)の記録に「大伴社」とあります。おそらくコレが大元神社のことだろうと思われます。よって平安時代末期にはすでにあり、どこまで遡れるかは分かりません。

大元神社は宮島(厳島)の中にある神社。1月に奇祭「百手祭り」があります。六枚重三段葺という非常に珍しい葺き方をしています。この葺き方は「書物」での記述以外で、現存するのはこの大元神社だけです。なので「大元葺」とも呼ばれます。

歴史について

最も古い記録
愛媛県今治市の大山祇神社(オオヤマヅミジンジャ)の「三島宮御鎮座本禄」によれば、仲哀天皇の時代に「塵和(塵輪鬼=ジンリンキ)」というバケモノが日本を襲いました。塵輪鬼は翼を持ち、頭を大小8つ持つ残忍な鬼でした。伝承によれば塵輪鬼は仲哀天皇によって征伐され封印されます。その時に派遣されたのが、大山祇神の子孫の小千三並(オチミナミ)です。
この小千三並が神聖な矛を一時的に置いたのが、現在の大元神社であるとしています。もちろん、これは大山祇神社の伝承であり史実かどうかは分からないのですが、やはり大元神社辺りが「神聖な場所」だったのは間違いないと思います。

ちなみに仲哀天皇・神功皇后の時代は4世紀。となると大元神社の創建は593年創建の厳島神社より「かなり古い(200年以上!?)」ことになります。
仁安3年の記録
仁安三年の記録では「大伴社」と記述があり、これが「大元神社」のことではないかと言われています。大伴というのは「佐伯氏」の本家の名前です。佐伯は厳島神社の古くからの神官の家。しかも、かつての大元神社は佐伯鞍職厳島神社の創建者)・所翁の神像を祀っていたのです(現在はないが)。
どうも大元神社がそもそもあり、厳島神社に移行した。現在は厳島神社が島の主ともいうべき存在ですが、元々は文字通り「大元神社」が「元の主」だったよう。
●ちなみに大元神社に祀られていた所翁は、対岸の「大頭神社」にも祀られていて、どうやら大元神社から勧請(神様を移動すること)されたよう。

御島巡り

大元神社の拝殿の中には「御島巡り」の奉納額が掲げられています。御島巡りとはカラスに導かれて佐伯鞍職が厳島神社を創建した伝承の儀式です。宮島の中にあるいくつもの神社(七浦七恵比寿七浦拝所など)を巡るのですが、その最後に訪れるのがこの大元神社です。
もしも厳島神社がこの島のメインで、厳島神社創建の儀式が「御島巡り」なのならば、最後に訪れるのは厳島神社であるべきです。歴史の部分でも書きましたが、どうも大元神社は「旧厳島神社」というべきものではないか?というのはよく言われるのは御島巡りにもあります。

百手祭り

奇祭!百手祭
毎年1月20日に、弓を打ちます。的には「鬼」という字によく似たちょっと違う字が書かれていて、これを撃ち抜いたか、撃ち抜かなかったかなどで吉凶を占います。この文字は「甲乙」と「ム(無)」に分解でき、争いごとがないようにするという意味があります。
●ちなみに昔は200本の矢を射っていたらしい。現在は8本だけ。

祭りの後は飲み食い
儀式が終わると神様にお供えした餝飯を食べます。餝飯は神饌(シンセン=神に捧げる食べ物)です。これを直会(ナオライ)と言います。直会というのは神様と一緒にご飯を食べることです。日本では神様と飲み食いして親睦を深めるものなんです。神様と人間が同じ目線にある証拠です。
ちなみに餝飯は火を通した普通の食事です。火を通した食べ物をお供えするのは珍しいです。

アクセス


厳島神社から見て、水族館の向こう側にあります。厳島神社の摂社とされます。摂社ってのは、言うなれば厳島神社の子分、みたいなことです。しかし、識者の見解では大元神社はどうも厳島神社の創建より古いんじゃないか?と言われています。厳島神社の創建が推古天皇元年の6世紀ですから、それ以前となるとかなり古いです。
となると、そもそもは厳島神社の方が大元神社の摂社だった、と考えた方が自然かも。

大元神社の祭祀の神

祀られている神さま
国常立尊(クニノトコタチノミコト)
大山祇神(オオヤマズミノカミ)
保食神(ウケモチノカミ)

の3神。神社を巡ったことのある人なら、「変な組み合わせだな」と思うはずです。というのも普通は、神社の神様ってのは、中心の神様とあとは、その関係者というのがパターンなんですね。男の神なら、奥さんの女神。もしくは子供。あとは性質の近い神様がセットになっていることが多いです。水神なら水神と一緒に祀られていることが多い。ところがこの大元神社の神様はちょっと妙。何か理由があるのでしょうが。

国常立尊(クニノトコタチノミコト)

まず国常立尊は古事記や日本書記で「世界が生まれた」時に生まれた神です。世界の根本の神様。ここでの「国」というのは「カントリー」ではなくて「大地」というニュアンスです。「トコ」は「永久(トコシエ)」という意味もありますが、「床(トコ)」であり、大地という意味です。つまり、この世界の大地を表しています。
http://nihonsinwa.com/page/87.html
実は正体のよくわからない神様です。

大山祇神(オオヤマズミノカミ)

次の大山祇は古事記や日本書記で登場する「山の神」の代表格です。ちなみに天照大御神の孫である邇邇芸尊(ニニギノミコト)の奥さんの「木花佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)」の父親でもあります。また大山祇神はスサノオの妻である奇稲田姫(クシナダヒメ)の祖父です。
大山祇神は日本神話にちょくちょく関わる「大事な神様」です。
http://nihonsinwa.com/page/109.html
大山祗に限らず、日本人は「山の神」を神聖視します。山(の異世界)から穀物の神がやってくると考えていたからです。ちなみに厳島神社の市杵島姫は海上運行の神でもありますが、同時に「穀物神」という性質もあります。

保食神(ウケモチノカミ)

次の保食神は、文字どおり「食べ物」の神様。
日本書紀にこんな話があります。

天照大御神(アマテラスオオミカミ)の兄弟のツキヨミが、保食神の元へ訪ねました。すると保食神はもてなそうとして、口から食べ物を吐き出しました。それを見たツキヨミは「きたねぇ!」と激怒して保食神を斬り殺してしまいました。その保食神の遺体から穀物が生まれました。
http://nihonsinwa.com/page/93.html
保食神は穀物が生んだ神でもあるわけです。

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