棚守房顕覚書96 外宮棚守のこと

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棚守房顕覚書96 外宮棚守のこと

外宮棚守は無調法(=不器用)に見えて(=地御前神社が荒れ果てていたこと)、どうするべきかと(毛利元就が)言いました。おっしゃる通りに思いますが、この棚守は去年(弘治1年=1555年)の8月以来、地御前の町人たちが、ことごとく退却していなくなっても、この棚守は5、6人で社頭(=神社の近くの)の山に取り籠って、神前の格子を開いて、自ら灯明を持って、現在まで外宮を続けた棚守なんですよ、と言いました。すると、(毛利元就は)そのようなことは知らないでいたので、(このように荒れているのは)ごもっともだなと思われて、山里のうちの鳥屋原?18貫目のあるところを外宮棚守にくださりました。

外宮とは地御前神社

外宮というのは地御前神社のこと。ちなみに内宮は厳島神社のこと。その地御前神社が荒れ果てていて、地御前神社の棚守はどうしたものかと毛利元就が尋ねました。

ちなみにこの「棚守房顕覚書」を書いている「棚守房顕」という人物の「棚守」というのは、神社のお宝を管理する役職名です。じゃあ、本名はなんだというと「佐伯」なんですね。でも、神社の関係者は全員「佐伯」なものですから、佐伯さーんと呼ぶと、全員が振り向く。そこで家ごとに役職名を名字のようにしているんです。

本当??

このお話、本当なんでしょうかね。
毛利元就は人間不信の塊のような謀略の鬼。棚守が進言したからと言ってこんな素直に聞き入れるでしょうか。私は、これは棚守が「俺のおかげで厳島神社・地御前神社は存続したんだぜ!」という主張のための、嘘、もしくは誇張じゃないかなと思います。
ただ、棚守としては神社の運営が何よりの優先事項であることは間違いなさそう。まーこの本を執筆している時点では厳島神社とはつまり棚守と言い切っても差し支えないほどですからね。俺はこれだけ頑張ったんだよー!と言いたい気持ちは分かる。

あと、もう一つ。棚守って神官のうちの下っ端のはず、なんですがここでは「地御前神社の責任者」のように描かれているんですよね。どういうことなんでしょう。
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