棚守房顕覚書144 毛利氏宿所のこと

MENU
TOP >> 棚守房顕覚書(資料) >> 棚守房顕覚書144 毛利氏宿所のこと棚守房顕覚書(資料) 資料
スポンサードリンク

棚守房顕覚書144 毛利氏宿所のこと

一、参詣御宿の事。
屋形を始め、元春様の御家中各々の御宿なり。天野殿、元清様の御家来、雲州の元秋様、元康様、何れも御旦那なれば(棚守の)御宿なり。隆景様御一人は往古より竹林内侍の御宿なれば、別宿を召さる。然りといへども、御社参の時は何方へも御座なくとも、棚守の宿所へ小早川殿御出なさる。棚守房顕に隠居の御合力のため、毎年米廿荷宛下さるなり。

上様より御寄進の地、元春様、元清様、その外の銘々の御寄進の地は書記に及ばず。御寄進状、目録等は、左近大夫元行に渡し遣わす所なり。御神事、祭礼、油断なく馳走すべきものなり。

現代語訳

一つ、参詣の時の宿のこと。
お屋形様(=毛利元就)、吉川元春の家のものたちはそれぞれの宿に泊まります。天野殿、穂井田元清殿の家来や、出雲の毛利元秋様、毛利元康(=末次元康)は皆、旦那(=家来の生活の面倒を見ているもの)であるので、棚守の宿に泊まります。
小早川隆景は一人は昔から竹林内侍の宿に泊まっていたので、別宿に泊まっています。そうは言いましても、社参(=厳島神社に参詣)する時は、なにはなくとも、棚守の宿へと小早川殿も出てきます。棚守房顕が隠居する援助として毎年、米20を荷宛してくださります。

上様(=足利将軍)から御寄進の土地、吉川元春、穂井田元清、そのほかの御寄進の土地は書記するまでもありません。御寄進状、目録などは左近大夫元行(=棚守元行=棚守房顕の息子)に渡しました。神事・祭礼は油断なく準備するべきものです。

解説

この記述を見る限り、毛利元就・吉川元春には宮島に「宿」というか別荘があったようですね。宮島に参詣する時にはそこに泊まった。宿のないその他の人たちのうち、小早川隆景以外は竹林内侍(=内侍は巫女のこと)の宿に泊まり、そのほかの人は棚守の宿に泊まった。そして小早川も参詣の前には棚守の宿に出てくると。
もう、明らかな自慢。
安芸国の権力者である毛利と如何に自分が懇意にしているかという自慢。そしてそのあとの文章は、それらの毛利との繋がりは全て息子である「棚守元行」が受け継ぐのだ!と言わんばかり…というかそう言っているわけです。
前のページ…「棚守房顕覚書143 将軍義昭 劔、神馬料奉納
次のページ…「棚守房顕覚書145 烏帽子直垂の衆

棚守房顕覚書(資料)の一覧

スポンサードリンク

ブログや掲示板に紹介する場合

ブログやサイトに紹介する場合(タグ)

編集