棚守房顕覚書116 碁打専哉のこと

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棚守房顕覚書116 碁打専哉のこと

碁打の専哉が(吉田兼右と)同道し下向しました。山口の長岡と吉田(毛利の本拠地)で晴れなる碁がありました。専哉に二つで、三番やりまして、長岡が負けました。

碁打ちの専哉

吉田兼右が神道の儀式の伝授をしに、毛利に請われて宮島にやってきた時に、同時に碁打ちの「専哉」なる人物がやってきました。専哉は名前ではなくて、「碁を専門にやってる人」くらいの意味じゃないかと思います。その専哉が、山口の長岡さんと、吉田で碁の対局をした。公式戦というか、大イベントだったんでしょう。それが「晴れ」ってことです。

ハンデ戦
専哉に二つというのは、専哉が「2子局」というハンデを負って戦い、三番勝負して、長岡さんが負けたってことです。長岡さんは山口から来たくらいですから、それなりの腕だったはずですが、ハンデ貰って負けるんですが、専哉は相当な碁の腕だったようです。さすが、京都から呼ばれた専門家!というべきか。

碁を吉田で行なったというのは、碁は武士のゲームという感覚があったのかな?と思いますね。宮島は文化の島で、連歌や舞はやるけど、碁は武士のゲームだから「吉田」なんでしょう。
しかし、まぁ、戦国時代ってなんか優雅ですね。もっと殺伐としているのかと思ったら、芸能はむしろ盛んなんですよ。
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