棚守房顕覚書100 銘刀荒波のこと(2)

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棚守房顕覚書100 銘刀荒波のこと(2)

荒波の刀についてです。上意(=ここでは13代将軍足利義輝のこと)が御覧になりたいとの由がありまして、御奉書(将軍の意を受けて部下が書いたもの)が度々ありまして、この由(=経緯)が棚守房顕へ吉田(=毛利)から仰せ聞かされまして、棚守房顕の申すことには、「平家清盛(=平清盛)の時代では言うに及ばず、源頼朝以来、代々、天下からの銘物の御太刀を寄進する神社なのです。神物をご所望のことは神慮が分からない由であると度々申し上げております」と、(毛利元就が)「もっともなことを申しているな」と言いました。すると吉田(=毛利)のこれらの段、状を申すべき由を棚守房顕の状に進上する荒波の代わり、乱髪の太刀に棚守房顕の代理人を添えて、天下へ上らせました。

将軍様、荒波をご所望

大内に代々伝わる銘刀荒波の噂を将軍の足利義輝が聞きつけました。それで「是非是非、荒波が欲しい!」と言う。棚守房顕が言うには何度も申し出があったわけです。その申し出は「毛利」にあった。世間の感覚としては厳島神社は毛利の管轄下にあるというものだったのですね。

厳島大明神の深慮
それで棚守房顕は「ずーっと偉い人から、進物を貰ってきたけど、求められて出したことはない!(ンなことは厳島大明神の神慮に叶わないぞ)」って具合に反論した。「将軍とて欲しい」から「出す」ではやっていけない。拒絶するのですが、毛利側から、銘刀荒波の代わりに乱髪を天下(=つまり京都=将軍の元)へと上らせた。棚守の代理人をつけて、です。

毛利元就の人物像

しかし、棚守房顕覚書に登場する毛利元就の人物像はあまりに「素直」。これが本当の毛利元就なのか…まぁ、ここでは「吉田」であって、毛利元就個人とは限らないか。毛利の組織からの言葉であって個人の意見ではないのかも。

ところで、荒波ではなく、妥協策として乱髪を引き渡すのですが、それでいいんでしょうか。
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