棚守房顕覚書101 銘刀荒波のこと(3)

MENU
TOP >> 棚守房顕覚書(資料) >> 棚守房顕覚書101 銘刀荒波のこと(…棚守房顕覚書(資料) 資料
スポンサードリンク

棚守房顕覚書101 銘刀荒波のこと(3)

一両年(=一年か二年)ほどすぎまして、上野兵部大輔殿をくだしまして、かの荒波の代わりとして、先ほど進上申された乱髪を持って下って、是非その荒波を御上覧してほしいとの由を仰られたので、吉田(=毛利)の一乗院を上野殿に添えて、渡海しまして、棚守は重ねて受け難しとするが及ばず、進上するべきと覚悟しました。

荒波をめぐる経緯

足利義輝(13代将軍)から「厳島神社にあるっていう荒波が欲しい!」と何度も毛利元就に手紙が来ていましたが、棚守房顕としては「厳島の神に進上したものを誰かに渡すなんてありえない!」と突っぱねて、妥協案として乱髪って別の刀を代理人を添えて足利義輝の京都に送ったのですね。

ところが、足利義輝から「乱髪じゃなくて、荒波が欲しいんだよ!」と上野兵部大輔がやってきた。下るってのは「京都から下る」って意味です。棚守としては納得はしていないのですが、落ちぶれているとはいえ将軍は立てなきゃいけないもの。仕方なく、荒波を送ることにしました。
前のページ…「棚守房顕覚書100 銘刀荒波のこと(2)
次のページ…「棚守房顕覚書102 銘刀荒波のこと(4)

棚守房顕覚書(資料)の一覧

スポンサードリンク

ブログや掲示板に紹介する場合

ブログやサイトに紹介する場合(タグ)

編集