棚守房顕覚書61 寄進の神馬のこと

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棚守房顕覚書61 寄進の神馬のこと

当社(=厳島神社)へ寄進した神馬のことです。先年は神主殿が取られましたが、友田興藤以後は棚守房顕にくださっていました。
天文10年(1541年)丑年1月18日以来、天文11年(1542年)寅年2月まで83匹が参りました。そのうち、然るべき馬を、方々から所望されて、悪馬を他人に派遣しましたが、上?する間は神馬を下さりました。馬のことは前々の友田興藤までは、神主の存知の儀でしたから、当神(=伊都岐島大明神)の主殿(=厳島神社の主殿)へ進上すべきであると言っていましたが、近頃の事情を考慮して、ご褒美として神主の佐伯景教に遣わせました。
御衣の召下ろしは社家へ与えました。
東の坊(=西方院)に訴訟があり、先の住持元真(住持は住職のこと)は外出して、神主の佐伯景教は東の坊(=西方院)に入りました。

神馬とは

京都の貴船神社では馬が奉納され、白い馬が奉納されると「雨が止み」、黒い馬が奉納されると「雨が降る」とされました。貴船神社で祀られているのはタカオカミという水神です。水神に馬を奉納するとなぜ雨が降ったり止んだりするのかっていうと、馬に乗って然るべき場所に水神が移動するからだ、と私は思います。どういう経緯はともかく、神社には馬が奉納されるものでした。ちなみに、昔…20世紀までは厳島神社の東側に「生きた馬」がいました。現在は馬の木の像が設置されているところです。

神馬は誰のものか

厳島神社にも神馬が奉納された。神馬は別に雨とは関係なしに、単純に神様の機嫌取りです。馬を奉納するのが一般的だったってだけです。その神馬を「誰のものとするのか」というのがこのページの主旨です。そんなのどうでもいいようですが、結構大事です。
友田興藤が神主だった頃は、宮島は友田と距離を取っていましたから、厳島神社に奉納された馬は、形式上は神主のものではあるのですが、神に奉納され、棚守が処理していたようです。新しい神主「佐伯景教」が就任してからは佐伯景教が判断するようになったようです。
棚守は大内から支給される給料の分配権を握っているわけで、実質、厳島神社の権力者ではあるのですが、だからと言って全ての権力を握ってやろうってわけではなく、佐伯景教にもちゃんと立場なりの利得を譲ってやった、のかなと思います。
●ただし佐伯景教は最初こそは宮島にいたようですが、その後は能島にいたようです。

御衣の召下ろし
これは神衣献上祭の神衣のこと。

西方院
西方院は大聖院の近くにかつてあった「寺」。
現在は「跡」だけで、私有地になっていて、影も形もない。
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