棚守房顕覚書24 大内義興と神主興藤との和議

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棚守房顕覚書24 大内義興と神主興藤との和議

友田興藤の兄の男(=息子)の藤太郎は大永4年(1524年)10月10日に宮島に渡海し、大内義興と対面しました。すぐに桜尾に下向して、桜尾城内へ、吉見衆は当然ながら、そのほかの防州(=大内軍)の衆も出入りするようになりました。

解説

一言で言ってしまえば友田興藤は桜尾城を開城したということ。棚守房顕覚書ではハッキリとは書いてありませんが、これで友田興藤は神主職を辞職するのですが、次の神主は友田の弟とも息子とも言われる人物「友田藤太郎(棚守房顕覚書では兄の子)」で、その実権は当然ながら友田興藤自身。大内と友田は共に痛み分けというべき結末を迎えます。いや、その後、また友田は大内に反抗して最後はこの桜尾城で死んでしまうわけですから、まだ結末とは言えませんね。

大内としても厳島神社の神主のことでいつまでも揉めているのが「困りもの」なわけで大人しくして居てくれればいいのですが、まぁ、そういうわけにもいかないのが戦国の世なのですよね。
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