厳島内侍…厳島神社の巫女

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厳島内侍

まとめ
厳島神社の巫女のことを厳島神社では「内侍(ナイシ)」という。
社家三方(内侍・六家衆座主)の一つ。
●内侍という言葉は朝廷内でも使われる言葉で、いわば「正社員」「内勤」と言った意味合い。
●平安時代の資料によれば、内侍がかなり強い権力(影響力)を持っていた。神主である佐伯景弘より立場が上。
●内侍は世襲。つまり母親から娘に内侍の立場(権力)が譲られていく。子供の父親は不明。息子が生まれた場合は島外に出される。

内侍とは

八乙女・本内侍とも呼ばれていた厳島神社の巫女のこと。内侍とは朝廷では朝廷内にお勤めする女性のことを指している。巫女のことを内侍と呼ぶのは厳島神社独特の言い方。
●八乙女というのは、巫女内侍を一﨟から八﨟という等級に分けていたことから。﨟は修行をして徳を積むこと。つまり八乙女というのは仏教的な言い方でもある。
●梁塵秘抄によると内侍の個人の名前に「釈迦」が見られる。内侍は仏教的な要素を持っていた。

平安時代の資料で登場するのは主に内侍で、神主である佐伯景弘はあくまで「奉幣使」という捧げ物をする人。内侍は後白河天皇などと対等に会話をしているし、何かと取り上げられるのはあくまで内侍。内侍が厳島神社における「最高権力者」だったと思われる。ただし、内侍は大量にいるので「最高権力者」というか権力グループというべきか。
●内侍が神との取次をしていた。だが、平家が厳島神社を崇敬すると、佐伯景弘は徐々に外部から権力を持つようになる。貴族が平家との取次を求めたり、国司が佐伯に配慮するようになる。
●内侍だけが神との取次をしていた。内侍橋はその名残ではないかと思う。

内侍とは世襲

内侍は世襲です。
厳島神社の裏にある「三翁神社」には三つの社がありますが、そのうちの一つに「御子内侍・竹林内侍・徳寿内侍の各祖神」を祀っている社があります。「祖神」というのは先祖のこと。つまり、内侍は「世襲」ってことです。内侍は先祖代々内侍だったのです。
母親から娘へと権力が引き継がれるのですね。では、子種はどうしているのか?って話なんですが、それは厳島神社に参拝した人や本土に恋人がいたよう。
内侍と関係を持った人物…清盛
内侍と関係を持った人の一人は平清盛。平清盛は安芸国守に就任した時に、厳島神社の内侍と関係を持ち「御子姫君」という娘をもうけ、その御子姫君を後白河天皇に嫁がせています。
内侍と関係を持った人物…徳大寺実定(藤原実定)
平家物語では宮島で内侍10人を船に乗せて、もうちょっと一緒に!って京都に向かっているうちに京都まで内侍たちを連れて行って、内侍たちが京都で平家に挨拶したところ、徳大寺実定はわざわざ(平家が崇敬する)厳島神社に参拝したのか!と喜ばれて左大臣になるという話が書かれているんですが、宮島にはこの徳大寺実定が内侍と恋に落ちた、という伝承があります。史実かどうかは怪しいものですが、内侍と貴族が恋をするというのは、清盛の件と合わせても世間の常識としては「あること」という認識だったのではないかと思います。
内侍と関係を持った人物…徳寿内侍と陸の男

戦国時代の神官の棚守房顕が大内の御師となるキッカケが大内の御師だった徳寿内侍が、肝心な時に宮島におらずに本土で男と会っていたから!ってのが書かれています。つまり、内侍は島外で男とあっているのですね。

雑記

この中からいずれは記事を作る
●一時期だけ宮島(厳島神社)には内侍だけが駐在して、祭りの時だけ地御前の男性神官が島に渡っていた。
●現在は世襲の内侍はいない。
●戦国時代まではそれなり権力があったらしいが江戸時代にはかなり弱っている。
●なぜ厳島神社のでは内侍が特別な権力を持っていたのかは分からないが、古事記や日本書紀には氏族のボスが女性というケースがちょくちょく見られるので、女系氏族は珍しくなかった。特に宗教的な立場は女性が強かったのかもしれない。卑弥呼も同様。

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