毛利元就

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毛利元就

陶晴賢(スエハルカタ=陶隆房)・大内義長(オオウチ・ヨシナガ)・尼子義久(アマコ・ヨシヒサ)などを滅ぼして中国地方を平定した。三本の矢や百万一心(一日一万一心)の話が知られているが、史実かどうかは怪しい。とにかく謀略で有名。

毛利元就と大鳥居と厳島神社の修造

大鳥居
厳島神社を崇敬していたが、陶晴賢と厳島合戦(1555年)で争い、宮島を血で穢した。おそらくそのせいで厳島神社から要請されて大鳥居を1561年(永禄4年)に再建。
参考大鳥居の建て替えの歴史
現在(2017年)の宮島の大鳥居は明治8年に建てたものです。

厳島神社
永禄6年(1563年)、毛利隆元が和智誠春の元へと訪れた直後に死亡したことから「毒による暗殺」を父の毛利元就が疑い、和智誠春(兄)・湯谷元家(弟)を永禄11年(1568年)に厳島神社に監禁し、殺害した。つまり厳島神社を穢した。それで1571年に現在の厳島神社本殿の修造をすることになった。

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