棚守房顕覚書142 房顕修理太夫となる

MENU
TOP >> 棚守房顕覚書(資料) >> 棚守房顕覚書142 房顕修理太夫となる棚守房顕覚書(資料) 資料
スポンサードリンク

棚守房顕覚書142 房顕修理太夫となる

一、先の公方様義輝の御代の時、房顕に、水澤弾正小弼より御内書なさる。当島中に社家奉行どもに存ずる故に御請けども申すなり。聖護院殿の御調法なり。愚老四位修理太夫になること。何も御門跡の御調法なり。

現代語訳

前の室町幕府の将軍の足利義輝の時代の時の話です。棚守房顕に水澤弾正小弼から内密(=棚守に直に渡す)の書状がありました。島の社家奉行(=厳島神社に関連する人たちの裁判を行う部署)に思うところがあって、(内書を)受けました。天台宗のトップの聖護院殿が調法(=重宝)したからです。。愚老(=棚守が自分のことを卑下した言い方)は四位修理太夫となりました。これも御門跡(=聖護院のこと)の調法(=重宝)したからです。

解説

厳島神社大聖院は現在でこそ「真言宗」ということになっているんですが、そもそもは天台宗です。しかも、いつから真言宗なのかよくわからないような存在です。天台宗の聖護院殿がこうしてちょくちょく関わっていることを見るに、天台宗は宮島に戦国時代もそれなりの影響力があったと考えるべきかなとも思います。
●聖護院は文化人であり、文化を重んじる当時としてはかなりの有名人でした。そういう意味でも影響力があったんでしょうが、このページにあるような影響があったということは、大聖院大願寺は戦国時代にあっても天台宗の影響下にあったと考えるべきじゃないかなと思います。

で、棚守は修理太夫となった。修理太夫は単なる地位の名前なのか、厳島神社の修繕に影響力を持つためのポジションなのかは勉強不足でちょっと分からないです。
前のページ…「棚守房顕覚書141 宝蔵のこと・盗賊侵入のこと(2)
次のページ…「棚守房顕覚書143 将軍義昭 劔、神馬料奉納

棚守房顕覚書(資料)の一覧

スポンサードリンク

ブログや掲示板に紹介する場合

ブログやサイトに紹介する場合(タグ)

編集