棚守房顕覚書102 銘刀荒波のこと(4)

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棚守房顕覚書102 銘刀荒波のこと(4)

石見国の沢に逗留していた長永と云う出家(=坊主)が、当社(=厳島神社)に十端十万枚(=護摩の修法)を執行する由を申しました。4月28日、護摩行事を執行し、神前の事なれば、宝蔵の絵本尊を取り出して掛けました。金岡(=巨勢のこと?)が(不動明王の絵を)一幅(=書画の単位)を失い、勿体無いことをしたと沙汰(=事件)を起こしたのですが、無くして、(見つけることも出来ず)力が及ばないなと思っていたところ、5月28日、荒波を取り出す日、客人の御前の上の蔀(シトミ=邸宅の雨よけの板)の上にこの絵(=不動明王の絵)があったとして、宮坊へ持って来まして、「これは社の先月に無くした不動明王の絵だ」とて、この子細を書き付け、荒波を取り出した日に宝蔵に納め奉りました。

解説

石見に「澤」と云う土地があるのか、澤は単に川べりという意味か、そこにいたお坊さんが厳島神社で護摩行事をするとして、宝蔵にあった不動明王の掛け軸か絵を壁に貼った。護摩行事の儀式に使ったってことでしょうね。でも、その絵がなくなった。諦めかけた時に、荒波を取り出した日に、その絵が客人の滞在したところの雨よけの板にあった。その経緯を書いて、その絵を宝蔵に収めたってことです。
不思議な話だなぁ、と言いたい。つまり、伊都岐島大明神はすごいなぁ、と言いたいわけです。
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