棚守房顕覚書33 広就山口に下る

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棚守房顕覚書33 広就山口に下る

上野介興藤(友田興藤=元厳島神社神主で現神主の友田広就の兄)は神領を思うがままに治めました。陶尾張守(陶興房)から桜尾城(=友田興藤の居城)に使者がありまして、代替わり(=大内義興から大内義隆への代替わり)で、大内義隆へ掃部頭(=友田広就)は(周防に)参上するべきであるとして、享禄3年(1530年)寅の年12月13日に宮島に門出し、すぐに山口へ下向しました。12月28日に桜尾城に帰りました。

解説

友田興藤は神領を勝手にしている
この時点での厳島神社の神主は友田広就。前回の「棚守房顕覚書32 大内義興の帰山と逝去及びその後」で就任しています。しかし、棚守房顕覚書を読む限りは友田広就の就任は「大内義興の病状悪化」などから生まれた妥協策であったよう。その証拠に、前回では大内義興と友田広就は対面させていない。また今回は大内義興の死亡後に元神主の友田興藤が神領(神社の領地)を神主ではないにも関わらず、好き勝手している!とあります。

で、大内が若い当主の大内義隆に代替わりしたので、挨拶に行った。挨拶に行ったのは、現神主の友田広就。そりゃ当然なんですが、モヤモヤするものがあったのでしょうね。実権を握っているのは兄の友田興藤なんですからね。山口まで出張って頭を下げているけど、それでは厳島神社神領を大内が統治している(=影響下にある)ことにはならない。
さてどうなることやら。
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