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このページは厳島神社の参拝ルート
参拝料の支払いを
手水
参拝料を支払うところに水が貯められています。ここで手を洗い、口をゆすいで「穢れ」を落としてから参拝しないといけません。日本の神は穢れを嫌い、穢れたものは入ってはいけないことになっているからです。
これで穢れを祓いました。さぁ、参拝しましょう。
手順
●まず、柄杓を右手で持ち、水を救います。
●柄杓の水で左手を洗います(左手の穢れを落とすため)。
●柄杓を左手で持ち替えて、右手を洗います(右手の穢れを落とすため)。
●柄杓を右手に持ち替えて、左手に水をため、その水を口に含んで、水を吐き出し、口の中を綺麗にします(口の穢れを落とすため)。
●柄杓の水で左手を洗います(口から穢れが移ったのを洗うため)。
●柄杓を元に戻して終了!
●まず、柄杓を右手で持ち、水を救います。
●柄杓の水で左手を洗います(左手の穢れを落とすため)。
●柄杓を左手で持ち替えて、右手を洗います(右手の穢れを落とすため)。
●柄杓を右手に持ち替えて、左手に水をため、その水を口に含んで、水を吐き出し、口の中を綺麗にします(口の穢れを落とすため)。
●柄杓の水で左手を洗います(口から穢れが移ったのを洗うため)。
●柄杓を元に戻して終了!
これで穢れを祓いました。さぁ、参拝しましょう。
客神社
最初の拝殿があるのが「客神社(マロウドジンジャ)」です。客神社には五男神という神様が祀られています。この神様は日本神話の中でアマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)というやり取りで生まれた神様で、この五男神の1柱の「天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)」という神様の子供は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)でその子孫が神武天皇であり、現在の天皇の先祖の神様です。
東回廊
厳島神社の東側にある回廊が東回廊です。現在はただの「廊下」ですが、江戸時代まではここに厳島神社に奉納されたものが飾られていました。どんなものが飾られていたのかというと、同じようなものが現在の千畳閣に飾られています。
鏡池
康頼灯篭
康頼灯篭…平安時代、平清盛の時代です。平家があまりに権力を持ったことを不愉快に思った後白河天皇と貴族たちは、謀反の謀議を鹿ケ谷という場所でしました(鹿ケ谷の陰謀)。この謀議を多田行綱が密告。それで平清盛は反対派を殺したり、島流しにします。その島流しにされた一人に「平康頼」という人物がいました。
平康頼は喜界島(鹿児島の奄美大島の近くの島)に送られます。そこで康頼は都を恋しく思って、二首の和歌を作り、1000本の卒塔婆に書いて海に流します。その一つが宮島に流れ着きます。
もちろんこれは「平家物語」の創作です。流れ着くわけがない。このエピソードは当時、かなり有名だったよう。
康頼灯篭はこれにちなんだものです。
平康頼は喜界島(鹿児島の奄美大島の近くの島)に送られます。そこで康頼は都を恋しく思って、二首の和歌を作り、1000本の卒塔婆に書いて海に流します。その一つが宮島に流れ着きます。
もちろんこれは「平家物語」の創作です。流れ着くわけがない。このエピソードは当時、かなり有名だったよう。
康頼灯篭はこれにちなんだものです。
朝座屋
卒塔婆石
朝座屋の向こうにある鏡池の中にあるちょっと大きめの石。
平康頼が海に流した和歌を書いた卒塔婆が流れ着いた場所が卒塔婆石。
卒塔婆石は鏡池の一つの中にあります。
平康頼が海に流した和歌を書いた卒塔婆が流れ着いた場所が卒塔婆石。
卒塔婆石は鏡池の一つの中にあります。
●鏡池は三つあります。客神社の奥、卒塔婆石があるところ、天神社の奥。
揚水橋
揚水橋…創建年次も目的もよく分からない橋。
内侍橋
内侍橋…内侍というのは「巫女」のこと。内侍は現代語で言えば「内勤」というか「正規職員」ってところ。実は平安時代はこの内侍の権力がかなり強かった。その内侍が通る橋だったのだと思われます。正確には「内侍以外は通ってはいけない橋」という意味ではないかなと。
厳島神社本社本殿(本社)
本社…やっとこさ辿り着く本社本殿。ここには現在、宗像三女神が祀られています。宗像三女神も客神社に祀られている五男神と同じくアマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)で生まれた神々です。
ここで御朱印やおみくじや、その他いろいろなお土産を売ってます。
ここで御朱印やおみくじや、その他いろいろなお土産を売ってます。
高舞台・平舞台
火焼前
門客神社
大国神社
長橋
不明門
不明門…厳島神社本社本殿の裏にある「門」。厳島神社の境内の中で唯一の「瓦屋根」の建築物。不明門の向こうには後園があり、その向こうにはかつて「本地堂(=十一面観音菩薩があったお堂)」があった。長橋と大国神社の間のところからどうにか見えるような見えないような。
天神社
天神社…連歌堂とも言われます。連歌を歌うための小屋で戦国時代に毛利によって作られた。連歌の神様が天神様(=菅原道真)なので、天神が祀られています。連歌会は江戸時代までここで定期的に行われていました。
西回廊
反橋
反橋…別名が勅使橋。横から見ると半円の橋で、ここを勅使…つまり朝廷からの使者が通ったとも伝承されるが、とてもじゃないけど人が通れるような建築物ではない。よって用途不明の謎の建築物。昔は板に蝋(ロウ)が塗ってあって滑りやすく、ここを滑り台にして子供が遊んでいたこともあった。
能舞台
能舞台…江戸時代に入り、安芸藩主になった福島正則が作ったのが最初だが、それ以前から常設ではない能舞台があったらしい。現在、能舞台で能をやるときは、能舞台の前に仮設の客席が組まれて、そこで酒や弁当を食べる。かなり騒がしく、能のセリフなんて聞こえない。
出口!
で、おしまい。
これで世界遺産を堪能できたと言っていいでしょうね。
お疲れ様でした。
これで世界遺産を堪能できたと言っていいでしょうね。
お疲れ様でした。
●江戸時代にはこちらが出口になっていますが、それ以前はこちらが入り口でした。
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