厳島神社の参拝ルート紹介

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このページは厳島神社の参拝ルート

参拝料の支払いを

ここでは厳島神社の参拝料を支払います。
大人一人300円。
昔は江戸時代には靴(草履)を脱いで神社の上がって、出口まで靴(草履)を持ってきてくれる人がいたらしいです。現在は、土足で上がってOK。

手水

参拝料を支払うところに水が貯められています。ここで手を洗い、口をゆすいで「穢れ」を落としてから参拝しないといけません。日本の神は穢れを嫌い、穢れたものは入ってはいけないことになっているからです。
手順
●まず、柄杓を右手で持ち、水を救います。
●柄杓の水で左手を洗います(左手の穢れを落とすため)。
●柄杓を左手で持ち替えて、右手を洗います(右手の穢れを落とすため)。
●柄杓を右手に持ち替えて、左手に水をため、その水を口に含んで、水を吐き出し、口の中を綺麗にします(口の穢れを落とすため)。
●柄杓の水で左手を洗います(口から穢れが移ったのを洗うため)。
●柄杓を元に戻して終了!

これで穢れを祓いました。さぁ、参拝しましょう。

客神社

最初の拝殿があるのが「客神社(マロウドジンジャ)」です。客神社には五男神という神様が祀られています。この神様は日本神話の中でアマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)というやり取りで生まれた神様で、この五男神の1柱の「天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)」という神様の子供は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)でその子孫が神武天皇であり、現在の天皇の先祖の神様です。

東回廊

厳島神社の東側にある回廊が東回廊です。現在はただの「廊下」ですが、江戸時代まではここに厳島神社に奉納されたものが飾られていました。どんなものが飾られていたのかというと、同じようなものが現在の千畳閣に飾られています。

鏡池

東回廊に入って左に見える、丸く石で囲まれた池が「鏡池」です。鏡池は湧き水が湧いていて、当然、満潮の時は見えない。実は裏の紅葉谷川を無理矢理に曲げたために出た伏流水が出たもの。
鏡池は三つあります。客神社の奥、卒塔婆石があるところ、天神社の奥。

康頼灯篭

康頼灯篭…平安時代、平清盛の時代です。平家があまりに権力を持ったことを不愉快に思った後白河天皇と貴族たちは、謀反の謀議を鹿ケ谷という場所でしました(鹿ケ谷の陰謀)。この謀議を多田行綱が密告。それで平清盛は反対派を殺したり、島流しにします。その島流しにされた一人に「平康頼」という人物がいました。
平康頼は喜界島(鹿児島の奄美大島の近くの島)に送られます。そこで康頼は都を恋しく思って、二首の和歌を作り、1000本の卒塔婆に書いて海に流します。その一つが宮島に流れ着きます。
もちろんこれは「平家物語」の創作です。流れ着くわけがない。このエピソードは当時、かなり有名だったよう。
康頼灯篭はこれにちなんだものです。

朝座屋

朝座屋…昔は社務所。神官・巫女の待合所。厳島神社の中で唯一トイレがあるところ。尿意・便意があればここで行っておくべき。

卒塔婆石

朝座屋の向こうにある鏡池の中にあるちょっと大きめの石。
平康頼が海に流した和歌を書いた卒塔婆が流れ着いた場所が卒塔婆石
卒塔婆石は鏡池の一つの中にあります。
●鏡池は三つあります。客神社の奥、卒塔婆石があるところ、天神社の奥。

揚水橋

揚水橋…創建年次も目的もよく分からない橋。

内侍橋

内侍橋内侍というのは「巫女」のこと。内侍は現代語で言えば「内勤」というか「正規職員」ってところ。実は平安時代はこの内侍の権力がかなり強かった。その内侍が通る橋だったのだと思われます。正確には「内侍以外は通ってはいけない橋」という意味ではないかなと。

厳島神社本社本殿(本社)

本社…やっとこさ辿り着く本社本殿。ここには現在、宗像三女神が祀られています。宗像三女神も客神社に祀られている五男神と同じくアマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)で生まれた神々です。

ここで御朱印やおみくじや、その他いろいろなお土産を売ってます。

高舞台・平舞台

能舞台になっているのが高舞台。その周辺を取り囲んでいるのが平舞台平舞台に隣接しているのが門客神社大鳥居に向かっているのが火焼前
高舞台では舞楽を毎年、何度も踊ります。

火焼前

火焼前大鳥居へと向かっていて、青銅製灯篭が二つ立っている場所。管弦祭では船がここに立ち寄る。非常に眺めがよく「厳島神社に来たよ!」って感じになります。ここでみんな写真を撮ります。

門客神社

門客神社には天皇の内裏の門を守る神が祀ってあります。客神社と厳島神社の神がアマテラスとスサノオが誓約をした時に生まれた神が祀っていあることを考えると、色々と妄想が膨らみますな。

大国神社

大国神社…ぱっと見では地味な神社でおまけのような気がしますが、厳島神社にお供えする食べ物は一旦、大国神社にお供えする。また、厳島神社で結婚式をする時にここでも儀式をします。

長橋

長橋…現在は通れない。赤くない普通の橋。後園や後白河法皇御手植えの松のところに繋がる道。平安時代からあったらしい。目的はハッキリしない。

不明門

不明門…厳島神社本社本殿の裏にある「門」。厳島神社の境内の中で唯一の「瓦屋根」の建築物。不明門の向こうには後園があり、その向こうにはかつて「本地堂(=十一面観音菩薩があったお堂)」があった。長橋大国神社の間のところからどうにか見えるような見えないような。

天神社

天神社…連歌堂とも言われます。連歌を歌うための小屋で戦国時代に毛利によって作られた。連歌の神様が天神様(=菅原道真)なので、天神が祀られています。連歌会は江戸時代までここで定期的に行われていました。

西回廊

西回廊本社本殿から出口のところまで続く回廊のこと。途中に長橋・大国神社・反橋能舞台などがある。途中に酒樽が並んでいる。

反橋

反橋…別名が勅使橋。横から見ると半円の橋で、ここを勅使…つまり朝廷からの使者が通ったとも伝承されるが、とてもじゃないけど人が通れるような建築物ではない。よって用途不明の謎の建築物。昔は板に蝋(ロウ)が塗ってあって滑りやすく、ここを滑り台にして子供が遊んでいたこともあった。

能舞台

能舞台…江戸時代に入り、安芸藩主になった福島正則が作ったのが最初だが、それ以前から常設ではない能舞台があったらしい。現在、能舞台で能をやるときは、能舞台の前に仮設の客席が組まれて、そこで酒や弁当を食べる。かなり騒がしく、能のセリフなんて聞こえない。

出口!

で、おしまい。
これで世界遺産を堪能できたと言っていいでしょうね。
お疲れ様でした。
●江戸時代にはこちらが出口になっていますが、それ以前はこちらが入り口でした。

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