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反橋(ソリバシ)
建築長さ11間3尺 幅2間2尺 擬宝珠高欄付き
反橋は西回廊に設置する大きくカーブした橋。天神社と能舞台とも近い。ここから南への陸地までの橋。
創建仁安(1166年から1168年)の造営記録にはなく仁治(1240年から1242年)の造営記録に「反橋」の記載が見られる。平清盛の時代にはなかったのだと思われるが、かなり初期からある建築物と言える。
反橋は西回廊に設置する大きくカーブした橋。天神社と能舞台とも近い。ここから南への陸地までの橋。
創建仁安(1166年から1168年)の造営記録にはなく仁治(1240年から1242年)の造営記録に「反橋」の記載が見られる。平清盛の時代にはなかったのだと思われるが、かなり初期からある建築物と言える。
別名が勅使橋
別名が勅使橋(チョクシバシ)。勅使が渡る橋だから、と思われる。勅使というのは天皇・朝廷からの使節のこと。重要な人物だからこそ、と思われるのですが、この勅使橋には昭和初期までは「ロウ」が塗られていてツルツル滑るものでした。
●江戸末期の滑稽本「滑稽道中宮島みやげ」では主人公がこの橋を走って登って滑って転ぶ様子が描かれています。
もちろん、鎌倉時代からロウでツルツルだった訳はないんですが、問題は「それじゃあ、そんなツルツルで橋として機能するのか? 人が通れるのか?」ということ。
で、反橋が「一体何なのか、何のためにあるのか?」はよく分かっていないんです。
●神事の時はここ組み立て式の階段を設置して人が渡れるようにしたとしているが、これは伝承であって、事実かどうかは分からない。
で、反橋が「一体何なのか、何のためにあるのか?」はよく分かっていないんです。
短くなっている反橋
現在の橋は弘治3年(1557年)に毛利元就・毛利隆元に再建されました。擬宝珠にその刻銘があります。この時、反橋は「かなり短く」なっています。三分の二ほどに小さくなっています。これは土砂災害・砂の堆積で厳島神社の境内(海)が狭くなったからです。また、かつての反橋は「方向」も違っていた。現在は長橋や厳島神社本社本殿と平行になっていますが、もっと斜めだった。
斜めの先に何があるのか?
斜めの先に何があるのか?
個人的な想像ですが、反橋は神が通る道、神だけが通っていい橋だったんじゃないのでしょうか。勅使というのは、神の使いか、別の意味の単語が転訛(訛ること)したのではないかと。そして、この橋を通った神とは何か? 反橋が斜めにかかることで繋がったのは「滝小路」でしょう。現在の反橋も筋違橋へと繋がるように結んでいることを考えると、可能性は十分ある。
それで、反橋を通った神とは何かというと、私は「白糸の滝の神霊」だったんじゃないかと思います。白糸の滝の神が本来の「厳島神社の神」だった。そう考えるのが自然です。そして、その感覚は戦国時代にもまだあったのです。
それで、反橋を通った神とは何かというと、私は「白糸の滝の神霊」だったんじゃないかと思います。白糸の滝の神が本来の「厳島神社の神」だった。そう考えるのが自然です。そして、その感覚は戦国時代にもまだあったのです。
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