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長橋(ナガハシ)
建築長さ18間(33m)幅1間4尺(3m)
長橋(ナガハシ)は大国神社から見える素木(=加工のない板)で作った橋。後園(ウシロゾノ・アトゾノ)へと繋がる橋。構造は揚水橋と同じです。長橋の束石(柱を支える石)は赤間石と呼ばれる下関の赤間で取れる密度の高い石です。毛利が寄進したものとされます。となれば、現在の長橋は1571年のものです。
●横に見えるのは鏡池の一つ。
創建平安末期・鎌倉時代の記述に「打橋・平橋」の記述があるので、仁安時点ではあったのではないかと思われる。ただし、当時の地形は現在とまったく違うため、どこへ繋がる橋だったのかも分からないし、本当に打橋・平橋が現在の長橋と同一と考えていいのかも分からない。
戦国時代に反橋・西回廊とともに大幅に短縮された。
現在は立ち入れない。
戦国時代に反橋・西回廊とともに大幅に短縮された。
現在は立ち入れない。
後園につながる橋
長橋と繋がっている後園というのは厳島神社本殿の裏にある現在、木が茂っている場所。江戸時代の初期はこの後園にはほとんど木も生えていないただの「盛り土」でした。神社によくある鎮守の森じゃないんです。で、その後園の向こうには何があったかというと「本地堂(ホンジドウ)」です。本地堂というのは、厳島神社の神様(市杵島姫神・伊都岐島大明神)の「本地仏」を設置するお堂のこと。
江戸時代には南側(神社の裏)に御供所(神饌…神へ捧げる食べ物を準備する場所)があって、ここを通って厳島神社本社本殿に運んだとも。長橋は江戸時代には厳島神社から本地仏を参拝するための橋だったのかもしれないなと個人的には思います。
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