厳島神社本社本殿

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厳島神社本社本殿

祭神宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)・天照大御神
本殿桁行正面8間、背面9間、梁間4間、一重、両流造、桧皮葺
幣殿桁行1間、梁間1間、一重、両下造、桧皮葺、背面両端庇間附き
拝殿桁行10間、梁間3間、一重、両端すがる破風附、入母屋造り、桧皮葺
祓殿桁行6間、梁間3間、一重、入母屋造り、妻入り、背面拝殿屋根に接続、桧皮葺

創建神社の創建は伝承によれば593年(推古天皇即位元年)。平安時代末期(12世紀)の創建。現在の本社本殿は戦国時代に毛利輝元に修造されたもの。

伊都岐島大明神

現在は宗像三女神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)が祀られているんですが、以前…戦国時代以前は伊都岐島大明神(イツキシマダイミョウジン=厳島大明神)という正体不明の神が祀られていました。
この伊都岐島大明神は全くもって正体不明で、書物によれば戦神(イクサガミ)であり、観音菩薩と習合していて「解脱に導く」神様であり、大日如来とも習合していて皇統とも繋がりがあるともあり、弁財天と習合していて芸事の神様でもあります。それがいろんな性質を持っている理由です。ともかく、よく分からないけども有難い神様なんです。

建築

屋根について
普通の神社は千木・鰹木というのが屋根に乗っかっているものなんですが、厳島神社にはそれがありません。それはつまり、厳島神社の建物が「神社的ではない」ってことです。

明治維新後、政府は天皇を掲げて成立したので、仏教を目の敵にしました。廃仏毀釈・神仏分離です。厳島神社の屋根の形式は神道的ではない。それに柱が赤いのも仏教的だと考えられていて、目の敵にされました。明治政府は「厳島神社を焼け」とまで言いました。厳島神社は明治の一時期、柱をヤスリで削って「白く」して、屋根に千木・鰹木を設置していた時期があります。廃仏毀釈がかなり強烈だったことを表すお話です。
明治・大正の修理で、江戸時代以前の形式に戻りました。

三棟拝殿
拝殿…私たちが拝礼する場所は二つの棟と、二つの棟の上に一つの棟が乗っかっています。これを「三棟拝殿(ミツムネハイデン)」と記されます。これはおそらく、この厳島神社の神(=伊都岐島大明神)が「三人組」だったから…ではないかと思われます。

祓殿(ハライデン)…拝殿の手前にある場所です。本来、高舞台でイベントをするのだけども雨で行えない時には祓殿で行います。

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