天神社(厳島神社摂社・宮島の神社)

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天神社(厳島神社摂社・宮島の神社)

天神社(テンジンシャ)
厳島神社の摂社。
祭神菅原道真
本殿桁行3間、梁間3間、一重、入母屋造、妻入り、背面庇附き、桧皮葺
創建1556年(弘治2年)…厳島合戦の翌年

創建・歴史

西回廊(現在の出口への回廊)の南側(厳島神社から見て海は北側)にある神社です。大黒神社の向こう側。創建は1556年。毛利隆元(毛利元就の長男)によるもの。厳島神社本殿が12世紀の造営だから、天神社は比較的「新しい建物」になります。1945年9月の枕崎台風の際に倒壊。
●厳島神社の他の部分が「赤い」のに、天神社は赤くないのでかなり地味に見えます。天神社は能舞台などと同じ、新しい建築物です。新しいものほど、地味で、侘び寂びを重視しているのは時代の違いです。

連歌堂

天神社は連歌堂とも呼ばれていました。
明治までは毎月25日に連歌会が催されていました。
戦国時代から「天神堂」とは呼ばれていた。
●連歌は天神(=菅原道真)と結び付けられていたので、そちらが天神堂と呼ばれていた理由だと思われる。

連歌
連歌は歌をつないでいくもの。戦国時代、宮島では「万句連歌興行」という一万回、歌をつなぐ歌会をしていました。どうしてそんなことをしたのか? おそらくはその地域の文化人と中央の文化人を集めて「文化振興」をし、宮島を盛り立て、なおかつ、地域の連携を深めるためです。ひっくり返すと、文化の評価が高く、文化の素養のあるということが実力者で権力者であるという感覚があったってことです。
現在の祭りで観光イベントをして地域の活性化と地域の連携を深めると同じですね。

作られたのは戦国時代だが
平安時代までの厳島神社の歴史書の記述を見ると、9世紀の日本三代実録に「伊都岐嶋中子天神」と記述があり、当時の宮島に「天神社」があったようです。ただし厳島神社内にあったのではなく、あくまで「宮島の島内」だろうと思われます。当時(9世紀)の天神は純粋な「天の神=雷神」であり、農業神です。道真が死んだのは10世紀で、9世紀では現在のように「菅原道真」とは関係がありません。

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