能舞台(ノウブタイ)…宮島の世界唯一の海上舞台

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TOP >> 能舞台(ノウブタイ)…宮島の世界唯…宮島 歴史的建造物 観光地・名勝 おすすめ度☆☆☆★★ 歴史 江戸時代 厳島神社
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能舞台(ノウブタイ)

建築桁行1間、梁間1間、一重、切妻造り、妻入り、桧皮葺、橋掛・能楽屋は付いている。
能舞台は桧皮葺だが、橋掛と能楽屋は杮葺(コケラブキ)
創建慶長10年(1605年)広島藩主の福島正則が能舞台を寄進したのが最初。延宝8年(1680年)広島藩主の浅野綱長が現在の舞台と橋掛(ハシカケ=舞台と楽屋を繋ぐ橋)と楽屋が作られた。
春には桃花祭神能で能が演じられる。
秋には献茶祭では表千家裏千家のお点前がある。

宮島と能

日本人でも「能」を見ること、触れる機会はほとんどないので、あんまり一般的ではないですよね。その最大の理由が「能は高額」ってこと。安い席でも数千円。いい席だと2万くらいする。その上、能の公演そのものの数が少ないですから余計に見ることがない。しかし、宮島に限って言えば、毎年4月の桃花祭神能では厳島神社の入場料(300円)だけで能を見ることが出来る。実はこれはかなり恵まれている(らしい)。なので広島の人こそ宮島に行くべき。ただし、桃花祭神能の能は観客のおしゃべりと雑音が大きすぎて、何を言っているのか全然分からないんですが。
●能の公演があるときには、能舞台と回廊の間に仮設の観客席(桟敷)が作られる。
●桃花祭神能での観客はあんまり「能を見る」ために行ってないので、黙って耳を澄ませて聞こうという気がない。その上、戸外での公演で声が散る。また、当日は酒と弁当が販売されているので、まぁ、黙って聞くなんて無理だと思う。ちゃんと能を見るには、それなりのお金を払って見に行きましょう。

能舞台の構造について
海上に作られている他にない能舞台。足拍子(=床を踏むこと)するとよく音が出て共鳴するようになっている。しかも、潮の満ち引きの度合いによって音の響きからが変わる。

歴史・創建

戦国時代の永禄11年(1568年)に観世太夫が厳島神社で能を演じている。この時、能舞台は常設ではなく、仮設で臨時で作られた。それが江戸時代に入り、毛利の後に安芸国の藩主となった福島正則が能舞台を寄進している。福島政則は能舞台以外にも、平家納経の整備など宮島の文化を重視し、援助しています。福島正則というと「力頼みの武将」ってイメージがありますが、実際のところは実務に長けた知性派だったよう。

福島正則が江戸幕府にイチャモンをつけられて(城の改築を責められた)左遷させられた後、やってきたのが「浅野」です。その浅野が現在の能舞台を造成したことを考えると、宮島の文化振興に積極的であることが安芸国の権力者の「条件」という感覚があったのではないかと思います。

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