七浦拝所

MENU
TOP >> 七浦拝所宮島 神道 歴史
スポンサードリンク

七浦拝所

御島巡りで回る10個の神社のうちで、「安芸の宮島まはれば七里、浦は七浦七恵比須」と餅つきで歌われる七浦七恵比寿とされる神社のこと。具体的には以下の神社のこと。
杉之浦神社 祭神「底津少童命」
鷹巣浦神社 祭神「底筒男命」
腰少浦神社 祭神「中津少童命」
青海苔浦神社 祭神「中筒男命」
山白浜神社 祭神「表津少童命」
須屋浦神社 祭神「表筒男命」
御床神社 祭神「宗像三女神=厳島神社と同じ」

御島巡りで大事な神事である…まぁ、メインイベント…の御烏喰式(オトグイシキ)を行う養父崎浦神社が含まれていません。また、御島巡りで最後に参拝する「大元神社」も入っていません。まぁ、大元神社はそもそも御島巡りにあまりカウントされていないんですよね。でも大元神社を最後に参拝するのは「大元神社こそが、そもそもの厳島神社だ」という名残ではないかと思うのですが。

御島巡りの意味

御島巡りは佐伯鞍職が女神を案内した故事にならったもの、というのが伝承です。ただ祀っている神様を見ると、古事記でイザナギが黄泉の国から帰ってきて、海に飛び込んだ時に生まれた神々と一緒で、御島巡りで立ち寄る順番と生まれる順番も一緒なんです。

この底津少童命・底筒男命・中津少童命・中筒男命・表津少童命・表筒男命は果たして、最初からこれらの神社で祀られていたんでしょうか。これらの神様は海の神で、海運関係と考えていいでしょう。宮島の立地から考えれば、海の神が祀られていることは全然不思議じゃないんです。むしろ当然。それでも、私はこれらの神が祀られたのは鎌倉・室町時代以降じゃないか?と思います。

伝承は変化する


にも書いたのですが、実は厳島神社に現在の宗像三女神が祀られるようになったのは鎌倉の後期で、それ以前は別の神様でした(御床神社に宗像三女神が祀られている時点で眉唾)。具体的には「伊都岐島大明神」です。宗像の女神の1柱の市杵島姫神と名前は似ていますが、違う神様です。それで伊都岐島大明神が祀られていた頃の厳島神社の客神社に祀られていた神様を見て見ると、見たこともないような名前ばっかりなんですね。

ところが、現在の厳島神社に祀られている神様は、古事記に登場する神様ばかりです。これは鎌倉時代に古典の研究が進んで、古事記や日本書紀にない神様が排除されたという経緯があって、厳島神社の神様も変えられたんです。そう考えると、七浦拝所の神もそうして変わったと考えた方が自然です。元が何の神だったのかは今は分かりません。

スポンサードリンク

ブログや掲示板に紹介する場合

ブログやサイトに紹介する場合(タグ)

編集