佐伯鞍職

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佐伯鞍職とは

佐伯鞍職(サエキノクラモト・サイキノクラモト)は厳島神社を推古天皇元年593年に創建したとされる人物。ただし、厳島神社の社伝に現れるのみで、日本書紀や古事記には登場しない。
まとめ
●佐伯はもともとは東北の蝦夷。
●ヤマトタケルによって俘囚となり、景行天皇に献上された。
●佐伯鞍職はその子孫と思われる。
●佐伯鞍職という名前から推測すると鞍を扱う仕事、おそらく馬で運搬する仕事だったのではないか。
厳島神社を創建したとされるが、日本書紀やその他の書物には記載はなく、神社の社伝によるもの。
●創建が史実かどうかは、なんとも言えない。
●佐伯鞍職も実在の人物かどうかはなんとも言えない。

佐伯とは東北の蝦夷

佐伯というのはそもそもは、蝦夷(エミシ)の氏族。蝦夷というのは東北の異民族です。ヤマトタケルが関東・東北に遠征した際に、この地域の異民族である蝦夷を従わせました。それでその蝦夷を連れ帰ったのですね。日本書紀によると、まずは熱田神宮に彼ら蝦夷を献上した後とあります。ところが、この蝦夷が熱田神宮で大騒ぎするものですから、騒がしいからと、三輪へ移動させます。三輪っていうのは現在の大神神社で、大神神社は日本で最古の神社とされる由緒ある歴史のある神社です。ここに移動したのですが、ここでも蝦夷は騒ぎを起こします。山の木を切り倒し、大声で叫んで周囲の民を恐れさせたんですね。それで仕方なく、蝦夷たちは中央から離れた播磨(ハリマ=兵庫県)・讃岐(サヌキ=香川県)・伊予(イヨ=愛媛県)・安芸(アキ=広島県)・阿波(アワ=徳島県)という地方に移動させられちゃいます。これが景行天皇の時代。ちなみにヤマトタケルは景行天皇の息子です。

広島の佐伯というのは、こういう経緯でやってきた氏族なんです。
●佐伯という名前は「騒がしい」が転訛したという説もあります。

佐伯鞍職のお仕事は?

クラモトとは何か?
鞍職という名前は、おそらく「通称」です。個人名ではなく役職の名前か、役職から来た通称でしょう。となると佐伯鞍職は「鞍」に関わる仕事、つまり実際には馬を扱う仕事です。鞍を作っていたのかもしれませんが、「鞍の職」で「馬を扱う仕事」と考える方が自然です。彼は陸上交通の関係者だってことです。今で言う所のトラック配送業務ですね。

その佐伯鞍職がなぜ、海上交通の女神をまつる厳島神社を創建したのか?

完全な推測ですが
景行天皇の時代というのは西暦でいうとおそらく「3世紀の末から4世紀前半のどこか」と思われます。厳島神社の創建は社伝によると6世紀の末(593年)。
●雄略天皇が5世紀の人物であるとされるので逆算すると景行天皇はそのくらい。

4世紀に佐伯が発生して、6世紀に陸上交通の要職を得た。これだけなら不思議じゃないんです。ですが、佐伯氏は安芸国の国造(クニノミヤツコ)…現在でいうところの県知事に成っています。国造の佐伯氏と厳島神社の佐伯氏は「同一人物」ではないですが「同一氏族」ではあります。運送業者として特別視されるのはともかく、どうして異民族である佐伯は安芸国の実質トップにまで上り詰め、その一員である佐伯鞍職は交通の要所である厳島に厳島神社を創建するだけの力を得ることができたのでしょうか。

捕虜?

日本人が考える「世界観」
日本書紀を読む限り、佐伯氏は異民族であり、捕虜だった。しかし捕虜が後々とは言え、地方の国造になるのは不思議な話です。佐伯氏は単なる異民族ではなく、「技術者」だったのでしょう。三輪で山の木を伐採したという日本書紀の記述から考えれば、土木建築技術者と考えた方が自然です。つまり、彼らはその技術で安芸国のインフラ整備工事を行った、文字どおり「国造」だったグループだった。
●私は日本人が考える「捕虜(俘囚)」と、中国の儒教が考える「捕虜(俘囚)」のニュアンスが違うのだと思います。
●日本人にとって、仲間に入った者は「俘囚」。中国では敗北して自由をなくした者が「俘囚」。ではないかと。
●日本書紀は漢文で書かれています。つまり中国の儒教の価値観を通して書かれているってことです。日本の物語を記していても、表現には齟齬があってもおかしくないでしょう。

部外者の佐伯と、安芸国の大和朝廷のポジション
それに景行天皇の時代では大和朝廷が考える「国」というのは大和国を中心とした数国のことを指していました。大和国などの中央から見れば、安芸国は「日本人の国」ではなく、どちらかというと周辺諸国という感覚が強かったのでしょう。佐伯氏は中央を厄介払いされて、安芸国へ左遷されたのですが、安芸国の人には中央に対する劣等感があって、佐伯氏は「異民族」というよりは、中央への敵愾心を抱える「仲間」という意識があったんじゃないかと思うのです。

彼らが安芸国で権力を握ったのは、「技術者集団」だった、ということと「中央へのコンプレックス」という二つがあったのだと考えています。あと、もう一つ。大事なポイントがあります。

異民族としての佐伯

異民族であること、そのものに価値があった
日本人は穢れを嫌います。
そのせいで問題がありました。
穢れを嫌うあまり、動物を殺せない。動物の死体を処理できない。
また人も殺したくない。


日本はゴリゴリの農耕民族ですから、動物を殺せない…シカやイノシシといった害獣を駆除できないのは問題です。また動物の死体を放置していれば、疫病が発生するかもしれませんから、処理しないといけない。人を殺さないことはいいことのような気がしますが、もめ事を解決するのは軍備は必須。戦争を避けていれば、むしろ問題は拡大する一方ということもあります。
だから穢れを嫌う日本人だけでは、いろいろと不都合があった。
「穢れ」という感覚を持たない異民族は、とても重宝されていたのです。

佐伯鞍職がやりたかったこととは?

佐伯鞍職はおそらく陸上交通の、馬を扱う仕事をしていたのでしょう。
馬を扱うということは、馬の死体を扱うことにもなります。
鞍の材料に、鞣し革(ナメシガワ)を扱っていたのかもしれません。鞣し革は動物の皮を加工したものです。当然、動物の死体に関わるものです。こういう穢れたものを日本人は嫌っていましたから、佐伯にしかできない仕事です。

当然、佐伯は異民族ですから、周囲とは感覚が違い、軋轢もあったはずです。しかし、異民族であったからこそ、仕事を得ることができ、必要とされ、勢力を拡大していった。4世紀に安芸国にやってきて、6世紀末、佐伯の一人が厳島神社を創建した。これは意義のあることです。なぜなら、「穢れ」の感覚とは「神道」の感覚だからです。

神道は穢れを嫌う。それが日本人の感覚のそもそもです。
その穢れの象徴ともいうべき社を佐伯が建てる。当時の佐伯鞍職にそのような思いがあったかどうかはなんとも言えませんが、異民族だった佐伯が「溶け込んだ」結果、というのが厳島神社創建の一つの側面なんじゃないか?と考えています。

陸上運搬を司っていた佐伯が、海上交通の厳島神社を創建したことは、まぁ、言うなれば、トラック会社が船舶会社を作ったようなもので、異業種参入というビジネス上の一手なわけです。なんというか「異民族と日本人の文化的融合」なんてこ綺麗なものではなくて、単に業務拡大ってことです。でも、その方法が「厳島神社創建」というのは、結局は佐伯が「日本化」した結果だと思うのです。
●まぁ、593年に佐伯が厳島神社を創建したというのは、社伝の話で、他の書物にはないことですから、果たして「史実か?」どうかは分かりませんよ。
参考
佐伯鞍職と厳島神社の創建の伝承

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