大願寺(ダイガンジ)…宮島厳島神社の修造の寺

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大願寺

名前亀居山放光院大願寺
宗教真言宗の寺院
観光ポイント
本堂には木造薬師如来坐像(鎌倉時代初期作、作風は平安時代風)・釈迦如来像(本来は五重塔の本尊)・阿難陀尊者像・迦葉尊者像の四つの仏像があり、全て国の重要文化財に指定されている。
秘仏弁財天(元厳島神社の秘仏)
如意論観世音菩薩(元護摩堂本尊)
錦帯橋の模型(明治のパリ万博で展示されたもの)
九本松(伊藤博文が植えた松)

大願寺と厳島神社

厳島神社の管理寺だった
明治維新後の神仏分離があるまで、厳島神社を管理、修造していたのがこの大願寺。いつから開かれたのかは分かりません。鎌倉時代に僧の了海(リョウカイ)によって再興されたのが大願寺とされます。
●大願寺が厳島神社と関わるようになったのは戦国時代。

天文7年(1538年)に山口の守護大名「大内義隆」の援助によって大願寺の尊海(ソンカイ)というお坊さんが一切経を朝鮮半島に求めて渡海します。
参考その時の紀行文…尊海渡海日記

その後、大願寺は勢力を持つようになります。厳島神社の修造をするようになったのは戦国時代から。宮島に関わるようになるのは室町時代の末で、宮島内の勢力としては本来は「新参者」です。
戦国時代の末、江戸時代以降にはると厳島神社の修造を担当するようになり、厳島神社の運営に関わる「三家大聖院座主社家奉行・大願寺)」の一つとなります。

現在は「厳島弁財天」を本尊としているので「弁財天本堂」とも言われます。

観光ポイント…九本松

初代総理大臣の伊藤博文がお手植えしたという九本に根元から別れた松。九本の松ではなく、根元から九本に別れた黒松。これ、植えた時から九本だったんでしょうか? ちょっとよく分かりませんが、伊藤博文が植えたから九本になったとは思えないので、根元から別れていた黒松を移植したと考えた方が自然じゃないかと思います。
伊藤博文はもみじ饅頭の成立にも関わり、弥山の信仰の篤い、宮島に関わりの深い人です。

観光ポイント…賓頭盧尊者

賓頭盧尊者(ビンズルソンジャ)の木像があり、像の撫でたところが治癒するとされています。お布施をしてから触りましょう。ちなみに賓頭盧尊者は釈迦如来の弟子の一人です。

観光ポイント…錦帯橋模型

明治のパリ万博で出品したものが、どういう経緯なのか分からないのですが、大願寺にあり、錦帯橋が1950年の台風で倒壊した時に、この模型を参考にして再建しました。
●パリ万博は1900年以前に1855年・1867年・1878年・1889年に開催していて、このどこかなんですがハッキリしない。

雑記

●現在の場所にある以前は荒蛭子神社の近くにあったらしい。
●弘治元年(1555年10月)に大願寺の近くにあった「家」が立ち退きさせられた。厳島神社に火事が及ぶのを恐れたため。つまり大願寺の近くには厳島神社の領域にも関わらず戦国時代には一般民家が建っていた。

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