もみじ饅頭

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もみじ饅頭の概要

紅葉(モミジ)の形をした饅頭のこと。宮島(厳島)のお土産として非常に有名で、お土産として非常に人気があります。
まとめ
●そもそもはカステラと餡でできた和洋折衷の新感覚スイーツだった。
●岩惣に出入りしていた菓子業者の高津常助が女将に相談されて生まれた。
●もみじ饅頭の成立に伊藤博文が関わっている、という説もある。

もみじ饅頭の歴史

明治の時、紅葉谷にある旅館「岩惣(イワソウ)」にお菓子を納入していた高津常助が、岩惣の女将だった栄子から「名所にちなんだお菓子は作れないか?」と相談されて、試行錯誤してできたのがもみじ饅頭です。今でもこそ、珍しくない饅頭ですが、当時としてはふんわりとした「カステラ」で「餡」を包むという「和洋折衷」のお菓子はかなり斬新だったので、人気が出ました。
●人形焼や今川焼きの方が歴史が古いが、あちらはあくまで和菓子の延長。この「和洋折衷」の饅頭はもみじ饅頭が始めだろうと思われます。
●最初のもみじ饅頭は「もみじに二頭の鹿」が描かれた現在とはかなり違うものでした。

商標登録の更新をしなかった!
こうして、もみじ饅頭は開発され商標登録されました。商標は20年の期限があり、期限ごとに更新しないといけませんでした。ところが高津常助は更新しなかったために、もみじ饅頭は「誰が作っても問題ない」ものになりました。それで現在ではたくさんの会社でそれぞれのもみじ饅頭が作られています。
●そのおかげでもみじ饅頭は、各会社にバリエーションがあり、幅があります。
●そういう競争が現在でも発展し、また品質を保っている大きな要素なんじゃないかと。
●高津常助にそういう意図があったのかは、何とも言えませんが、江戸時代に木工技術を指導して宮島に木工産業(宮島杓子・しゃもじなど)を起こした僧侶「誓真(セイシン)」がいたことが、何か影響したのかもしれません。

伊藤博文と宮島

伊藤博文
初代総理大臣の伊藤博文は弥山信仰をしていて、ちょくちょく宮島に訪れていました。伊藤博文は旅館の女中の手を握り、
「なんと可愛らしい、もみじのような手であろう。焼いて食うたらさぞ美味しかろう」
と言い、それを聞いた岩惣の女将が、出入り業者の饅頭業者に伝えてもみじ饅頭に成ったというお話があります。
ただこの説話は「実話」かどうかは疑わしい。

伊藤博文は好々爺…ようはスケベ親父というイメージがありましたから、このお話はリアリティがありました。また伊藤博文が宮島を贔屓にしていたのも有名でした。だから、本当とも嘘とも言えませんが、事実としても不思議ではない、って感じです。

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