厳島神社は何百年・何千年先を見越して作っている

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厳島神社は何百年・何千年先を見越して作っている

まとめ
厳島神社の造営の際に御手洗川白糸川の流れを変えている。
●これは神社の本殿を土石流が襲わないようにするのと、土砂が入って厳島神社の敷地が陸地化しないようにするため。
●何百年も厳島神社が存続することを前提としている。
●古い神社は遷宮をするが、厳島神社は遷宮を前提としていない。
●海上神殿ならばむしろ、遷宮はしやすいはず。
●厳島神社は仏教と神道の世界観を融合させた、新しい神社の形式を提案したのではないか?

厳島神社は防災技術の塊

厳島神社は御手洗川白糸川を治水工事をして流れを変えています。本来は厳島神社の境内内を突っ切って、大鳥居あたりに流れているはずなんです。それが流れを変えて厳島神社を正面に見て右側(西)に流れています。これは200年に一回程度の頻度で起きる「土石流」が厳島神社本殿に直撃しないようにすること、と、川が運ぶ砂が厳島神社の海に流れ込んで堆積して「陸地化」するのを防いでいます。
これはつまり、厳島神社がただ「建てられた」のではなくて、何百年・何千年も先のことを見越して、「防災」を考えて建てられているということです。

神社と遷宮

しかし、よく考えると変ですよね。
例えば伊勢神宮は20年、出雲大社は60年に一回、本殿を建て替えて、神様の引越しをします。厳島神社に限ってはそういうことを考えていないんです。
伊勢神宮と出雲大社の遷宮
伊勢神宮や出雲大社が遷宮をして、新しく社殿を作り変えているってのは「世界観」から来ているんです。遷宮するのは「建物が痛むから」と思ってる人もいますが、法隆寺を見れば分かるように、木製建築でも何百年も持つように作るのは、十分可能です。特に伊勢神宮が皇統の祖とされるようになったのは、天武天皇・持統天皇の時代以降の話で、法隆寺はすでにあり(後に焼失するとはいえ)、「何百年も保つ木製建築物の作り方」はその頃にはすでに確立されていたはずなんです。
神社ってのは全部が遷宮をするわけじゃないんですよ。でも歴史があるところは遷宮(造替)をするものです。それは「新しいもの…つまり幼いものが霊威が強い」という世界観があるからです。遷宮をして神様を更新しなくちゃいけないと考えているからなんです。

海上神殿の不思議

なぜ厳島はそういう「前提」をしなかったのか。海上神殿であることはむしろ「遷宮」という前提を付与しやすい事情に思えます。海上にあるから柱は腐りやすいし痛みやすいし、前提にしやすいというよりは、遷宮はむしろ必須に思えます。なのに厳島神社が遷宮を設定しなかったのはでしょうか。

私は、厳島神社が「仏教と融合した神社」だからじゃないかと思います。

仏教と神道

厳島神社は浄土信仰を元にした寝殿造りを意識した作りになっています。手法を用いただけではなく、平清盛は千僧供養を行い、平家納経を「厳島神社」に納めているのです。柱が赤いのも仏教的です。厳島神社は神社というより仏教施設に近いのです。もちろん、当時の日本は神仏混交が激しく、神仏の境目はあやふやな状態でしたから、問題はないっちゃ無いのですが、にしても限度を超えているわけです。これじゃ神社と銘打っていることが変です。

時代に合わせて神社を変える

私は伊勢神宮・出雲大社とは別の、新しい時代の…神仏混交の「神社」の形として「厳島神社」を提案したのでは無いかと思っています。実際、この時代には「白河法皇」「後白河法皇」と言った言葉があるように、天皇は法皇になっています。法皇というのは仏門に入った上皇という意味です。そういう時代に合わせて、神社も仏教と融合し、新たな「形」を提案すべきだ!と考えてたんじゃないかと。
●問題はそれを「誰が」考えたのか?ってことなんですけどね。

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