御手洗川は人工的に曲げられている

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御手洗川は人工的に曲げられている

厳島神社の裏手にある「御手洗川」は人工的に曲げられた川です。
まとめ
12世紀の厳島神社の造営の際に御手洗川は治水工事で曲げられた。実際には戦国時代に毛利輝元が工事した。参考:御手洗川を曲げて白糸川と合流させたのは戦国時代の毛利輝元
●本来は厳島神社が立っているところを流れていた。
曲げたのは、土砂が厳島神社の海を埋めないようにするため。毛利家の文書によると、近隣のゴミが厳島神社の境内に流れ込むことを防ぐため。ただし、二次的には土砂が厳島神社の境内に流れ込まないようにする意図があったと思われる。
●また、台風・豪雨の際に御手洗川を通る土石流が厳島神社を直撃させないため。
御手洗川を曲げた結果、できたのが西松原西の松原は枕崎台風での土砂災害で出来た。ただし、それ以前から洲はあった。

治水工事で川の流れを変えた

現在、厳島神社の裏にがっちり治水された御手洗川が流れていて、整備しているからパっと見、「人工的に曲げられた」と言っても「フゥン」と思うかもしれませんが、この位置に川が流れているのは、12世紀に造営された時に曲げられたからなんです。…実際は戦国時代に毛利輝元が工事して曲げた。
●画像の右下から流れてきているのが御手洗川です。綺麗に厳島神社を迂回して流れているの分かります。

宮島は神の島ではなく、神を祀る島

厳島神社は海上にあります。長い事、厳島神社は「海に建てられた」と思っていました。
浜があり、そこに神社が作られた、という意味です。

どうしてそう考えられていたのかというと、長い事、「宮島自体が神の島」で「神の島を傷つける事は禁忌」と考えていたからです。島が神体ならば「島を掘削するわけがない」のですね。しかし、厳島はあくまで「神を祀る島」であって、「島そのものが神体」という訳ではないと分かってきました。

御手洗川のありえないカーブ
厳島神社が建っている浜には「川が流れ込まないよう」になっています。裏手に流れる御手洗川が見事に迂回して西松原に流れて行っています。これは自然ではありえないことです。もしも「自然」に御手洗川が浜に流れていたならば、おそらく現在の大鳥居のところまで浜辺が続いていたハズです。つまり、この厳島神社の浜辺は陸だったところを削って、わざわざ「海」にしているんです。

なぜそんなことをしたのか?

仮に普通に川が流れていれば、当然、浜辺は何百年後には陸になります。「川の流れ」を変えていなければ、自然の摂理で厳島神社は今頃はただの陸上の神社だったはずです。だから川の流れを変えないといけない。

では、陸を削ってまで海にする必要はあるのか? 単純に浅瀬に神社を作ればいいじゃないか?と思いますよね。でも、コレもダメなんです。

現在の大鳥居のところが、清盛時代(12世紀)には「海岸線」でした。仮にそこに神社を作ったとしましょう。すぐに神社が暴風雨で壊れてしまいます。実は、現在の厳島神社の位置は裏の山と左右の峰に囲まれていて、暴風から守られている絶好の立地なんです。

暴風に守られていて、海上神殿を作る。となると、陸を削って、現在の厳島神社の場所に建てるしかないんです。

また、川の流れを変えていることで、土石流が神社本殿を直撃することもありません。相当に考え抜いた立地場所なんですね。

そんな考え抜いた場所に建てるには、相当に長い間、この場所の天候や地理を研究していないと無理でしょう。
●実際に御手洗川の工事をしたのは戦国時代。
●それ以前は、どうやら川は境内内に流れ込んでいた。
●ということは、砂は堆積し放題だった。どうも砂は定期的に取り除いていたよう。
●となると「鳥居のところが海岸線だった・陸を削って海にした」という話も、本当かどうか分からない。と言うのも「海抜」は時代とともに変化していて、平安時代と現在はおそらく同じくらいと言われているのだけど、それも砂の堆積が一切無ければ!の話であって、なんともいえない。
●素直に考えれば、厳島神社の境内はそもそも海で、遠浅の現在のようになったのは「結果的」だったんじゃないか?と思う。

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