平家納経

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平家納経とは

まとめ
●一般公開はされていないが、厳島神社宝物館でレプリカが公開されている。
●平安時代末期に作られた装飾経。
●33巻で1セットとされる。
●装飾があるのが33巻のうちの30巻の法華経
●平清盛が厳島神社に納めたとされるが、謎が多い。

平家納経

平家納経とは、平安時代の終わりに厳島神社に収められたお経。非常に美麗な装飾経。現在では平家納経と呼んでいますが、この呼び名が一般的になったのは明治以降(学者が名付けた)。それまでは単に法華経と呼んでいました。33巻セットで「平家納経」とされ、33巻になっているのは厳島神社の本地仏の観音菩薩が33の姿を持って人を助けると言われているからです。33巻のうち30巻が「法華経の書写」で、残りの3巻のうち二つが「阿弥陀経」と「般若心経」。最後の一つが「清盛願文」です。

平家納経の謎

平家納経には謎が多い
平家納経は平清盛が納めた、ということになっているのですが「いつ納めた」のかはハッキリとは分かっていません。また「なぜ納めたか?」もよく分かりません。つまり、全然分かっていないんですね。あと33巻のうちの一つが「清盛願文」なんですが、清盛願文ってのは「清盛が厳島神社(神)にどういう意図で奉納したのかを書いた文」なのですね。これがお経の巻の一つに入れるのって変ですよね。
●清盛願文は後世に作られたとも。

いつ納められたのか分からない
平家納経は伝承によると「清盛が持って来て納めた」ことになっているのですが、平家納経に書かれた幾つかの日付に清盛が厳島神社に訪れた形跡がありません。特に清盛願文は「神に申し立てをする文章」ですから「書いた日」ではなく「納めた日」を書かなくてはいけません。ところがその辺りでは厳島神社に訪れていないんですね。当時の清盛は「超有名人」であり、これだけの装飾経ですから、話題にならないわけもない。ところが、当時の貴族の日記などには全然、書かれていない。これが結構大きな謎なんです。

平家納経とは何か?
平家納経と言った場合、33巻のことを指すのですが、有名なのは30巻の法華経のことです。この法華経が単なるお経の書写ではなく、非常に手の込んだ装飾経なんです。日本の美術史で取り上げられるほどのモノです。
法華経について
平家納経で描かれている法華経は「女性が解脱する」ことがテーマになっています。これを清盛が神社に納めるのは変ですよね。どうやら平清盛の父の平忠盛の後妻である池禅尼の死後に「池禅尼が成仏するように」と製作したのが平家納経の法華経のようなのです。
●池禅尼の死亡時期はよく分からない

池禅尼と平家納経

池禅尼は清盛から見ると「継母」です。父親の後妻であって、清盛の実母ではありません。しかし池禅尼は忠盛の権力(所領・武力)を引き継ぎ、池禅尼の実子である平頼盛にその権力を移譲させているんです。ハッキリ言えば清盛と頼盛というのは実に微妙な関係だったようなんです。清盛は平家の棟梁で「トップ」ではあったのですね。でも池禅尼から引き継いだ頼盛も平家の中ではかなり実力者であり、清盛の地位は、我々のイメージに反して意外とグラグラしていたのです。
●清盛より頼盛の方が15歳下です。
●清盛は「父太郎」、頼盛は「母太郎」と呼ばれていました。
●15歳下の頼盛が清盛と並び称されるということは、頼盛は相当な実力があると周囲が考えていたことになります。

法華経はどうやら実母である池禅尼のために「平頼盛」が作ったようなのです。と言っても法華経の一部は「清盛も書写しています」けども、中心となったのは頼盛のようなんです。それが「平清盛が納めた」となっている意味は何でしょうか。

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