浄土信仰

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浄土信仰とは

まとめ
●インドで仏教が生まれる。
●仏教が中国に伝わる。中国では金持ちが信仰した。
●浄土に行くためには、極楽浄土を再現したものを見て祈らないといけないとなった。そういう建築物を建てた。
●日本でも浄土信仰が広がり、公家貴族が極楽浄土を再現した「寝殿造り」を建てた。
●その寝殿造りの技法を利用したのが厳島神社

インドで仏教が生まれる

仏教がインドで生まれたのが紀元前4世紀とか紀元前5世紀。有名な「お釈迦さま(=ゴーダマシッダールタ)」が始めました。
インドってのは赤道が近くて、暑くて、乾燥している土地なものだから「生きるってのは苦しいよね」ってインド人は思っていたんですね。それで「もう死んじゃいたいなぁ」って思っていたんですけど、死んでも死んでも「生まれ変わるよ」って言われていたんです。この生まれ変わりを「輪廻」と言います。輪廻って考えは仏教特有の考えではなくて、インドの世界観にそもそもあったものなんです。それでインド人が「死んでも死んでも苦しい人生が何度も繰り返されるのか!もう辛いばっかりだなぁ!」って思っていたところに解決策を提示したのが釈迦でした。

仏教が行き詰まる

釈迦は、この世の真理に目覚めて、輪廻の円環から抜け出す方法を提示しました。この輪廻の円環から抜けることを解脱(ゲダツ)といい、解脱した人のことを「仏陀(ブッダ)」と言いました。仏教ってのは、「解脱して仏陀になる」ことを目的とした宗教なんです。それでこの仏教はインドで大人気になりました。ところがこの仏教は現在ではインドで信仰されていません。

阿弥陀如来の誕生
釈迦が死んで何百年か経ってしまうと、徐々に仏教は元気がなくなりました。なぜかというと、解脱する方法として釈迦が提示した方法ってのが「家族を捨て、仕事を捨て、地位を捨て、財産を捨て、欲を捨て、なんもかんもを捨てて執着心を無くさないとダメ」ってもので、頑張って仕事してきて、そろそろ人生の終わりになって解脱したいなぁって思ってる人に「家族も仕事も地位も名誉も財産も捨てなさい」って説教しても、普通は「えー?!やだ!」ってなるわけですよ。こうなると簡単には誰も彼も解脱できないのです。実際に解脱できるのはごくごく一部の人だけ(何を持って解脱できたというのかは知らないけど)。だから「仏教って、なんかやだなぁ」ってことで、信者も減ってきて、お坊さんは危機感を感じるようになったんですね。そこで「もっと簡単に解脱できるようにしよう」ってことで生まれたのが「阿弥陀如来」です。

釈迦は神ではなく仏

釈迦って仏様(=仏陀=輪廻から解脱した人)であって神様じゃないんですよ。
仏様ってのはあくまで人間なんです。超人的な知恵を持ち、超人的な能力を持ってはいるのだけどあくまで「人間」なんですね。解脱を導いてくれる有り難い存在だけど、もともとはただの人間なんです。そこで「じゃあ釈迦みたいなのを作ればいいじゃないか!」ってことになったんです。それで釈迦に変わる新しい「解脱を導く仏陀」として作られたのが「阿弥陀如来」です。
●仏教では阿弥陀如来以外にも大量の「仏陀」が創作されました。その仏陀一つ一つに対して「お経」が作られました。だからお経が大量にあるんです。

阿弥陀如来
阿弥陀如来は「この世の人を全員、解脱させるぞ! 解脱させたら仏陀(=如来)になるぞ!」って誓いを立てているんです。で、阿弥陀「如来」って私たちが呼んでるってことは、全員を解脱させられたから、如来って付いているわけで、ということは阿弥陀如来は全員解脱させられるわけです。これは有り難いですよね。阿弥陀如来がいるって時点で、もう解脱は決まってるのです。これは釈迦とは違って本当に簡単・お手軽です。

阿弥陀如来と浄土信仰

では、阿弥陀如来はどうやって解脱に導くのかというと、「解脱しやすい場所」がこの世にあるってことになっているんです。その場所の名前が「極楽浄土」です。日本人は極楽浄土を「天国」だと勘違いしているんですが、極楽浄土はあくまで死んで転生する場所であって「現世」なんです。ここでまた修行をして「解脱」するのです。解脱予備校みたいなことです。
仏さん
よく刑事ドラマで遺体のことを「仏さん」って言いますよね。あれは死者は極楽浄土に転生し、その極楽浄土で修行して解脱して、その結果、仏陀になるから「仏さん」なんですね。ただ日本人はなんとなく死んだら即、神か仏になると思い込んでいるんで、この大事な「極楽浄土で修行して解脱」というところがスコーンと抜けているんですよ。

どうやって極楽浄土へ?

極楽浄土に転生すれば解脱はかなり簡単になるってのは分かってもらえたと思います。まぁ、そういう設定なだけなんですけど。

でも、問題は「どうやって極楽浄土に転生するのか?」ですよね。
極楽浄土に転生してそこで修行して解脱ですから、とりあえず極楽浄土に行かないと話になりません。

インドと中国では仏教の意味が違う!

その前に。
インドで徐々に元気が無くなってきた仏教がどうなったのかというと、中国に渡りました。中国では庶民は道教、官僚の学問として儒教が広がっていましたからそこには広まりませんでしたが、中国では「金持ち」が仏教を信仰するようになりました。なぜか??
インドと中国では仏教の捉え方が違う
インドは暑くて乾燥していて苦しい。そんな苦しい人生が輪廻輪廻で何度も繰り返されるなんてたまったもんじゃない、その解決方法を示したのが仏教だったのですが、中国は「インドのように暑くないし乾燥していないし、苦しくない」ので、「輪廻」という世界観は、インドとは真反対に「何回もこんな楽しい人生を送れるなんて最高!仏教万歳!」と受け取られました。特にお金持ちはこの輪廻の考えを支持したんです。そりゃまぁ、そうでしょうよ。

もう、この時点で仏教は完全にねじ曲がっています。仏教は「人生は苦しい」のが前提の宗教だったんですね。そこから執着心を捨てて抜け出すのが解脱だったんだけど、そもそも「人生を苦しいと思ってない」人たちにとって仏教はただ「来世の楽しい人生を導くもの」となっていきます。だから阿弥陀如来の極楽浄土という考えも、「解脱する場所」というよりは「死後の歓楽街」みたいな感じになっていきます。

浄土信仰

中国で変な浄土信仰が生まれる
そこで阿弥陀如来の極楽浄土に転生するためにどうすればいいのか?と考えた結果、「極楽浄土を想像することが大事だ!」となって、極楽浄土のような建築物を建て始めました。いかにも金持ちの発想なんですよね。金が余ってないとこういう事にはならないでしょうよ。それで極楽浄土のような壮麗な建築物を建てて、それを見て拝み、イメージをすることで死後、極楽浄土に転生できる、ということになりました。それが浄土信仰です。

浄土信仰と寝殿造りと厳島神社

日本での浄土信仰
この浄土信仰が日本でも平安時代に流行ります。
日本の貴族も極楽浄土をイメージするような建築物を建てました。
それが「寝殿造り」です。
極楽浄土は「蓮(ハス)の中にある」とされていたので、寝殿造りには「池」がつきものです。池の中に壮麗な寝殿造り。この代表的な建築物が、平等院鳳凰堂(1052年・藤原頼通)です。

というわけで寝殿造りは浄土信仰と繋がっています。そして寝殿造りを明らかに参考にしているのが「厳島神社」なのです。それで厳島神社が「海上神殿」であるのも浄土信仰と関係があるのだろうと言われています。
浄土真宗に続く

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