スポンサードリンク
瀧不動堂
白糸川を上ると、御幸石・滝宮神社・白糸の滝の手前にある御堂。現在(2017年)に見られるお堂は、2005年9月の台風による土石流で倒壊してしまったものを、2009年に再建したものです。それにしては風格のあるお堂ですわな。
江戸時代に出版された芸州厳島図会には「不動愛染」と書いてあることから、おそらくは、江戸時代には瀧不動堂と呼ばれていなくとも、似たような趣旨の施設はあったらしい。ただし、江戸時代は現在とは違い、川を挟んで反対側の位置。
江戸時代に出版された芸州厳島図会には「不動愛染」と書いてあることから、おそらくは、江戸時代には瀧不動堂と呼ばれていなくとも、似たような趣旨の施設はあったらしい。ただし、江戸時代は現在とは違い、川を挟んで反対側の位置。
不動愛染
不動愛染は当然ながら「不動明王」と「愛染明王」のことで、不動明王は胎蔵界、愛染明王は金剛界を象徴する存在。芸州厳島図会を見ると、白糸の滝の下には「白糸観音」と書かれていることから、観音菩薩を守護する不動明王と愛染明王として設置されたのだと思います。
白糸観音と厳島神社
厳島神社も江戸時代までは十一面観音菩薩を本地仏としていたことと、大聖院の前の道が「滝小路」と名付けられていること、滝小路一帯が滝町と名付けられていることを考えると、白糸の滝はかなり重要な土地(宗教的・観光地的に)だという認識があったのではないかと思います。
スポンサードリンク