戦争(第二次大戦)をテーマにした宮島観光案内

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戦争(第二次大戦)をテーマにした宮島観光

観光に戦争を絡めるなんて、なんかアレだなぁと思うかもしれませんが、平和公園・原爆ドームと一緒に行ってはいかがでしょうか。生々しくリアルな「戦争」を感じられる宮島の観光スポットを集めてみました。

千畳閣

現在ではほとんと語られることはありませんが、厳島神社はそもそもが「戦神(イクサガミ)」の神社です。中世以降の時代でも、戦神の性質がありました。第二次世界大戦・日清日露戦争の時代において厳島神社は、戦勝のために訪れる神社で、しゃもじを奉納するのも「敵兵士を召し取る」という縁起担ぎでした。厳島神社に奉納されたしゃもじを飾っていたのが千畳閣です。千畳閣の柱を見ると、柱に無数の傷があります。明治大正あたりまでは、この柱にしゃもじを釘で打ち付けていたんです。その傷跡です。触れることもできますからよく見てみてください。

しゃもじ

しゃもじは江戸時代からの宮島の主要なお土産でした。しゃもじは飯取るもの。それで兵隊さんが「敵を召し取る」からしゃもじを厳島神社に奉納するわけです。広島県民はしゃもじが戦争に関わったとは知らずに、カープの応援や甲子園の応援でカチカチ叩いています。まぁ、別にしゃもじが戦争を引き起こした訳じゃないんですけど。
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しゃもじ
「飯とる」→「敵を召し取る」でしゃもじが勝利の縁起物になる理由
誓真(しゃもじなどの木工製品を宮島のお土産にした僧侶)

西の松原

現在、厳島神社の西の、松が植えられている広い砂地が西松原です。清盛神社もありますね。この砂地は昔からあるわけではありません。戦国時代にも川から運ばれた土砂が堆積したこのような「洲」はあったのですが、現在の西の松原のような大きなものになったのは戦後です。で、どうして大きくなったのかというと昭和20年9月の枕崎台風による土砂災害で、厳島神社の境内内に大量に土砂が流れ込み、その土砂を取り除いて移動させて西の松原を作ったからなんです。
枕崎台風
ところで枕崎というのは鹿児島の南の土地で、ここに上陸した台風がどうして宮島に大規模な土砂災害を引き起こしたのだろうか??と思いませんか。戦前に宮島の木を切り倒したからなんです。
松根油
戦争末期になると、日本は燃料がなくなりまして、そこで松の木から油を抽出するようになります。まーそんなんじゃ戦争に勝てっこありませんわなぁ。でも、それだけ追い詰められて必死だったってことです。宮島は、神の島とされていて農業もしてないし、紅葉谷は禁足地だったので他の地域に比べると松が生えていました。そこでこの松の木を伐採したんですね。木を切れば、土砂災害が発生しやすくなります。それで昭和20年の9月にやってきた枕崎台風で大きな土砂災害が発生したのです。西の松原は実は戦争の爪痕なんです。
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西松原

大元浦

宮島水族館の向こうの大元神社のあるあたりが大元浦です。
大元浦も実は、西の松原と同様に枕崎台風の時の土砂を移して埋めた場所です。牛石が中途半端に埋まっているのは、埋め立てたからなんですね。牛石は枕崎台風以前は、海岸にあったわけです。
関係する場所
大元神社

経塚(清盛塚)

宮島は神の島とされ、神の島だからクワを島に入れてはいけないので、農業をしていませんでした。ところが戦争末期の昭和19年になると、しょうがないので宮島でも農業をしないといけないな、ということになりまして、宮島の土地を開墾することになったんです。それであちこち耕して見ると、お経の筒が発見されました。それが現在の経塚(清盛塚)です。

経塚というのは、経筒を埋めた塚のことで、経塚は「祈願」のために作ります。祈願というのはまぁ、浄土に行けますように、というもの。そもそもは後世に「経」を伝えるために、だったらしいです。清盛塚の経塚が何のためにあるのかは不明。清盛塚とありますが、本当に清盛が埋めたか、関わったかどうかも不明。経塚自体は日本全国にいくつか残って居て、有名なのは藤原道長の金峰山経塚。

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