清盛塚(経塚)

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清盛塚

名前清盛塚・経塚
場所経ノ尾…厳島神社から宮島水族館に行く途中
まとめ
●非常に分かりづらい場所にあり、階段が急で危ない。
●清盛が経筒を埋めたという経塚がある。
●経塚はお経の入った経筒を埋めることで、国家安寧などを願うこと。
●戦争末期に宮島でも農業することになり、この辺りをほってみると経筒が出てきた。伝承はあったが実際に出土したのはその時。伝承もばかにできない。

清盛塚(経塚)とは

戦争末期、昭和19年に成るとそれまで農業をやっていなかった宮島で、作物を植えることになりました。それで宮島の土を掘り返すと、銅や陶で出来た筒が出てきました。その場所が現在の「経塚(清盛塚)」です。

宮島には平清盛が法華経を一字一石刻んで埋めた、という伝承があって、どうやらこのことじゃないか?となったのですが、うーん、まぁどうなんでしょうね。

経塚

経塚とは
藤原道長が大和国金峰山山頂に造営した金峰山経塚というのがありまして、お経を入れた経筒を埋めて経塚を作ったのが最初。経塚を作るのは最初は国家安寧のためだったり、お経を後世に伝えようという「社会貢献」的な目的だったのですが、のちには個人的な「祈願」になっていきます。清盛塚がどういう目的で作られたのかは分かりません。素直に考えると千僧供養などの仏教イベントで使った経典を埋めた?ような気もしますが、特に根拠はないです。

経塚を作るのは仏教では割とポピュラーな儀式です。経塚を作ることで浄土に往生するようにお願いするんですね。平家は「平家納経」というのをしているんですが、平家納経に何が書いてあるのかというと法華経で、法華経というのも往生したいよーって内容なんです。つまり経塚と平家納経はまぁ、主旨としては一致してるってわけです。
経筒
お経を入れる「筒」。実は中国には「経筒」という文化がない。にも関わらず、当時の日本での経筒には中国製のものがあった。ってことは中国は平安時代から「世界の工場」だったのかもしれない。

清盛塚(経塚)の場所

宮島水族館の近く。非常に分かりづらい場所にあります。また、階段が急で登りづらいので、子供・妊婦・老人は行かない方がいいです(人が訪れる観光スポットではないので十分な整備がされていない)。


厳島神社の領域の果て
どうしてこんなところに経筒が埋められたのかというのは明確には分からないのですが、どうやらこの経塚が「厳島神社の領域の西の端」で、そこから悪いものが入ってこないようにする「結界」だったようです。
●つまり宮島は島全体が「神の島」というわけではなく、厳島神社を中心とした「清盛塚(経塚)」と千畳閣や五重の塔がある「塔の岡」の間の範囲がとりあえずのテリトリーだったのだろうと思われます。

経筒について

清盛の時代との関係
清盛の時代に日宋貿易が盛んになり「宋銭」が日本に流入してきました。宋銭は銅で出来ていました。お経を入れる筒はそれまで陶製だったのですが、これが宋銭が流入してきたことで筒に銅製の物が作られるようになりました。だから清盛塚で発見された「陶製と銅製の経筒」というのはこの事情に完全に合致しているんです。よって清盛の時代だろうというのは間違い無いだろうとは思います。
●平清盛の時代に宋銭(銅銭)を取り入れて貨幣経済を運営しようとした。それでかなりの量が日本に流入して、中国では銅銭が不足した、という説もある。

しかしだからと言ってこの「筒」を「清盛が作った」とするのはあくまで「伝承」であり、本当かどうかは分かりません。もちろん本当かもしれないんですが。

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