清盛神社…宮島の西松原にある昭和29年に出来た神社

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清盛神社とは

西松原にある神社。創建は新しく1954年(昭和29年)。平清盛が亡くなって770年にその功績を顕彰して三翁神社から遷座して創建されました。分かりやすく言うと三翁神社からヘッドハンティングしてきたってことです。
まとめ
●三翁社から清盛を移して清盛神社を立てた。
●三翁社にはかつて、清盛・二位の尼・安徳天皇が一緒に祀られていた(祀っていたのは他のもたくさんある。詳細は三翁神社から。
三翁神社は山王社という仏教の社だったため、明治維新の神仏分離の時に、三翁神社と名前を変えることで神道の社として生き残った。
●山王社に清盛が祀られるようになったのは江戸時代初期。
●それまでは清盛は今社という今はない施設に祀られていた。
今社は平家の魂を鎮魂して、祟りを防ぐ施設。

アクセス

三翁神社?

三翁神社は厳島神社の裏手にある非常に多くの神や人が祀ってある神社。今でこそ三翁神社とあり、主に「佐伯鞍職(佐伯の翁) ・ 所翁 ・岩木翁」を祀った神社とありますが12世紀の「厳島社千僧供養日記」には「比叡御社壇」とあり、比叡山が「山王社(サンノウシャ)」ですから、比叡山という仏教に関わる神社だったんですね。それが明治維新の時に「神仏分離」で神の島に仏教の社があるのはけしからん!となり、山王社から、音は同じで字が違う「三翁社」と変えたんです。変えたことで山王社は神道の社となって、生き残ったわけです。

で、そこに江戸時代の初期あたりから清盛が祀られていたのですが、さて清盛はどうして祀られていたのかというと…
今社
平家が壇ノ浦で滅亡したあと、京都で地震が発生し、「平家の怨霊ではないか?」と噂が立ちました。そこで宮島では平家の霊を鎮めるために、「平清盛・二位の尼・安徳天皇」を祀った今社(イマヤシロ)という社を紅葉谷の中に立て、毎年、鎮魂のイベントを行いました。それが平安時代の終わりです。紅葉谷は禁足地になり、鎮魂のイベントは続きますが、徐々に「どうしてこのイベントをやってんだろう?」と考えるようになって、徐々に辞めていったんですね。それでおそらくなんですが、江戸時代の初めに土砂災害が発生して、今社が流された。今社に鎮座していた清盛たちを山王社に一緒にした…ということのようです。

そこから1954年に清盛を引っ張り出したわけです。

清盛神社って…

さて、昭和29年というと実は宮島口に宮島競艇場が開設された年です。

清盛は水軍を率いていた歴史的大人物ですし、何より公家貴族に下に見られていた武士から太政大臣という実質の政権トップになった大出世の象徴ような人物です(のちに豊臣秀吉という貧農から政権トップに登った人がいるので忘れがちですが)。そういう記述はないんですが、宮島競艇場に行く人が参拝するのを当て込んで作ったのが清盛神社なんじゃないか?と思ってるんですよね。私の個人的な推測ですよ。
吉川英治の新平家物語
昭和20年代、戦後間もなく、吉川英治が新平家物語を朝日新聞で連載し始めました。それで平家に注目が集まったのも清盛神社成立の理由です。
戦前の平家の評価は「朝敵」でした。天皇に反抗した悪い人というのが平家の評価です。だから悪いモノだったんですね。それが新平家物語でひっくり返った、というのも清盛神社成立の理由の一つです。

おまけ

宮島は江戸時代には吉原(風俗街・歓楽街)があり、富くじも開催していました。つまり宮島は「娯楽の島」だったんですね。それが明治維新後に急に神の島になり「神の島だぞ!けしからん!」と吉原は移設され急速に「娯楽の島」ではなくなっていきました。ところが日本が戦争に負けて天皇が人間になると、宮島はまた娯楽の島(もしくは観光の島)へと揺り戻します。その流れの中に宮島競艇場の開設があるのですね。

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