地御前神社での管弦祭について…スケジュールなど

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地御前神社での管弦祭について

まとめ
●旧暦6月17日に管弦祭が行われる。旧暦なので、毎年日付が違う。7月の下旬だったり8月上旬だったりする。
地御前神社では出店が並び、賑わいます。
地御前神社で神事があるのは19時から21時まで。
地御前神社の神事が終わってから、厳島神社に移動しても間に合う。この日だけはフェリーは特別便がある。詳細はよく調べてください。

管弦祭のスケジュール

16:00 発輦祭
17:00 御本殿出御(厳島神社を出発する)
17:40 大鳥居前の儀
19:00 火立岩(ホタテイワ)のあたりを通過
19:30頃 船の1槽が地御前神社に到着する。
20:30頃 御座船(管弦船)と2槽の船が地御前神社に到着する。
21:00頃 船が地御前神社を出発する。

21:40 長浜神社厳島神社の東の神社)
22:30 大元神社(厳島神社の西の古社)
23:10 火焼前(ひたさき…厳島神社の平舞台の出っ張ったところ)
23:30 客神社前(本殿の横の神社)
24:00 御本殿還御(厳島神社の本殿に到着し終了)
地御前神社で見られるのは19時から21時まで
管弦祭というと厳島神社のお祭りという感じがするのですが19時から21時という祭りとしてはメインとなる時間は地御前神社に船(管弦船など)が居るのですから、管弦祭は地御前神社の祭りと考えた方が自然に思いますね。

19時ごろに火立岩を通過

19時ごろに地御前神社と宮島口(フェリーが出るところ)の間にある火立岩(ホタテイワ)のあたりを船が通過します。この時間はまだ明るいです。火立岩は地御前神社から歩いて5分程度の場所です。まずはここで管弦船を待つといいでしょう。

19:30頃 船の1槽が地御前神社に到着する。

船は5槽で出発します。
先頭を走る船が、地御前神社に到着します。19時の時点では満潮になっておらず、船は浜に乗り上げます。船には十数人の男が乗っていて、楳図かずおと見間違うような、「赤白のハッピ」に着替えてから、上陸。

地御前神社で踊る

先頭の船の彼らが上陸し、太鼓と灯りを中心にして、掛け声をあげ、踊りながら回ります。
●なんかやる気を感じないですが、まぁ、しょうがないか。

日本では「音」は「魔や邪」を祓う性質がありますから、太鼓の音と掛け声で、これからやってくる女神たちのために、清め祓っているのでしょう。
●神社で二礼二拍一礼をしますよね。この「二拍手」は神様のために魔を祓う作業です。この太鼓と掛け声と踊りで、清めているわけです。
●日本の神様は穢れを嫌います。神社に入る前に手水舍で手を洗い、口をゆすぐのは穢れを落とすため。また神社の境内では穢れたものはあってはいけませんから、境内内で生き物を殺してはいけません。
参考
なぜ大鳥居の内側で貝を採ってはいけないか
宮島の鹿

20:30頃 御座船(管弦船)と2槽の船が地御前神社に到着する。

日が沈み、満月がクッキリと見える頃。御座船が地御前神社に到着します。この時には、踊った彼らはすでに、元の船に乗っています。
大きな御座船からは篳篥(ヒチリキ)のプオーという音が聞こえます。地御前神社の前、御座船が到着するところは階段になっていて、ここで座って待っていると、近くで御座船が見られます。早めに行ってこの階段を狙うといいです。ちなみに御座船に「触れる」と幸せになるとか。

御座船と一緒に来た2艘

御座船(管弦船)は宗像三女神のうち、市杵島姫(イチキシマヒメ)を表しているのでしょう。御座船は他に2艘の船と一緒に地御前神社にやって来ました。ということは残りの2艘は宗像三女神の田心姫命(タゴリヒメ)・湍津姫命(タギツヒメ)を表しているんだと思います。そういう観光ガイドは無いんだけどね。

厳島神社の謎

観光ガイドでは、管弦祭は平安時代に清盛が京都の風習を取り入れた、とされているんですね。それでかつては宮島は禁足地でしたから、管弦船は今の航路と逆で、地御前神社から出発して、厳島神社に行って、地御前神社に帰るというコースを通っていた、とされています。

このお話、幾つか、問題があります。

まず、管弦祭の神事は宗像の神の祭りを取り入れたというのですが、平安時代の厳島神社の神は宗像三女神ではないんです。だから平安時代に宗像の女神をまつる神事が始まることは有りえないのです。古文書を調べると管弦祭の記録は室町時代が最も古く、それ以前は「よく分からない」のですね。記録が無いからってやってないとは言えませんが、当時としてはかなり手の込んだ祭りです。祭りのたびに演奏者を呼び寄せないといけませんからね。その手配と準備だけでも大変ですから記録を残さない方が不自然。それに、宗像の女神が祀られ始めたのが鎌倉時代です。となると室町時代に管弦祭は始まったと考えた方が自然です。

だったら「昔は逆のコースだった」という話は何なんでしょうか。
室町時代に始まったとして、辻褄を合わせたのでしょうか。
それも変な話です。

神の名残

これは私の推測です。

平安時代には管弦船・管弦祭はなかった。室町時代に始まった。でも、その原型となる祭りは平安時代にはすでにあったのだと思います。管弦祭はゼロから始まったのではなくて、伊都岐島大明神の神事をベースとしていた。それが「昔は逆のコースだった」という伝承になるんじゃないかと。

それに私が変だと考えるのは「夜に船祭りを行う事」です。
夜に灯りを灯した船で海を通る方が幻想的ですよね。
でも、夜にこれをする必要はないでしょう。
少なくとも宗像大社の神事でも夜には行っていません。
ということは、夜に管弦祭をするのは伊都岐島大明神の神事の名残なんじゃないか?と思うのです。


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