新町…宮島の風俗店・富くじ屋などがあった地域

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新町

名前新町(シンマチ)
場所廿日市市宮島町新町
歴史的な経緯を考えると色々と面白いが、現在は当時を思わせるようなものが何もない。観光価値はほぼゼロ。
まとめ
●江戸時代(1625年)に広島城下にあった風俗街を移設することになった。その移設先が新町。
●新町には風俗店・宿屋・料理屋・富くじ屋などが密集していた。
長浜神社の近くに船で上陸して、一つ山を越えて新町に来ていた。
●明治維新後に「宮島は神の島」という設定をしたことで、歓楽街は宮島から追い出された。風俗店は広島中区江波に移設された。

新町の歴史

1625年に広島城下にあった風俗街を移設することになった。広島城は政治をする場所であり、その近くに風俗街という穢れたものがあるのはマズイという考えがあった。それで移設先となったのが宮島だった。

当時、厳島神社の領域は西は経ノ尾(清盛塚のあるところ)から、東は五重塔千畳閣や奉行屋敷があったあたりに限られていて、新町(現在の表参道商店街のフェリー乗り場に近い一番端っこのあたり)は厳島神社とは無関係の領域だった。また、宮島は貿易中継地で様々な人がやってくる。性産業の需要がもともとあったので、移設されたらしい。それで「新町」と名前がつきました。

道芝記によると、新町には数十人の遊女がいて、この街から出られないように門があった。また、新町には富くじ屋、宿屋、遊女屋、料理屋、芸者屋、その他よく分からないお店がありました。ここは性風俗・料理・ギャンブルと娯楽が詰まった街でした。
●新町には銀座(=両替商)もあった。
幸神社の前にあった金鳥居の向こうには遊女は行けなかった。ってことは幽閉というよりは軟禁ってとこでしょう。また、宮島では女性は生理の時にアシ山・イマレと呼ばれる場所に滞在して穢れが無くなるまで待ってから、日常に戻りました。ところが遊女は穢れた存在だったために、生理の時は地御前神社の近くの小屋に行かなくちゃいけなかった。どの程度の自由があったのか不明。
●宮島表参道商店街・現在のフェリー乗り場付近は明治に埋め立てられて出来た土地で、江戸時代までは新町に行くには長浜神社あたりで上陸して山を越えなくちゃいけなかった。

明治維新後の新町

廃仏毀釈の二次被害
明治維新が起きると天皇を中心とした政治になりました。実際に天皇が権力を握ったわけじゃないんですが、政府は天皇を掲げていたために神道から仏教を引き剥がすことになります。
どうも広島藩は必死に廃仏毀釈をしていた節があります。広島藩は長州藩を隠れて支援していましたし、そもそも広島藩は毛利の土地で、長州藩は毛利が殿様ですから「俺たちも薩長土肥に加えられてもいいじゃん!」って気持ちがあったんじゃないでしょうか。それで、廃仏毀釈が激しかった。なので厳島神社も「柱が赤いのは仏教的」として柱を削って真っ白にさせられてしまいます。厳島神社ですらこの有様です。宮島から次々と仏教施設が壊されて行きます(わざわざ取り壊したかどうかを確認に来たらしい)。また、神社の儀式に関われなくなって行くと収入(仕事)を失った寺は消えてしまいます。
その上、弥山周辺の仏教施設も壊されてしまうかもしれない、ってことになりました。そこで「宮島=神道の島=神の島」という設定をすることで、施設を守ることになります。
●宮島=神の島という設定は明治維新の時に出来た設定です。

神の島から追い出される風俗街
宮島は神の島であり、島全体が神域ということになりました。すると新町に風俗街があるのはまずい。遊女は穢れているのですから追い出さないといけない。それで宮島にあった風俗店は全て広島市の江波島(現在の中区江波、当時は島で埋め立てられて現在は内陸になった)に移設されます。
●この時、宮島から富くじも消えます。ところが、戦後の昭和29年に宮島の対岸に宮島ボートというギャンブル施設が誘致されます。なかなか感慨深いものです。

しあんばし

思案橋
新町には「思案橋」がありました。思案橋は新町の風俗店で女性を買おうか買うまいかと迷う場所だったよう。生々しい。

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