太夫戻岩

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太夫戻岩

名前太夫戻岩
場所弥山登山道の大聖院ルートの14丁手前。
まとめ
弥山登山道の途中にある岩。
●江戸時代に安芸藩主となった福島正則が、登山途中で引き返したとされる。
福島正則平家納経の修繕や能舞台を常設にするなど宮島に投資した人物だが、寺社の領地を取り上げて再配分…(実質の領地を減らした)…したため、寺社から恨まれていた。それがこの太夫戻岩のエピソードの根幹だと思われる。

福島正則と太夫戻岩

江戸時代に入り、広島藩主は毛利から福島正則になります。福島正則は広島城を修理したことにイチャモンをつけられて、左遷されて、浅野が藩主になります。それは置いておいて。

福島正則は広島藩主となって、宮島の弥山に登ります。宮島にはいろんな法度(=ルール)がありまして、その中に仁王門の向こう側に未の刻(午後1時から午後3時)以降に登ってはいけない!ってのがありました。登ると弥山に住む天狗の祟りがあるとされていたんです。福島正則はその法度を破って、登ろうとしたところ、大きな岩があって進むことが出来ず、下山したというのです。その岩がこの「太夫戻岩」。

福島正則と宮島

福島正則は平家納経を修繕したり、能舞台を常設にしたりと、宮島の文化振興にかなり尽力しているし、商業・交易にも力を入れています。だから、こんなエピソードが残るって、なんだか可哀想。
福島正則はなんだか不遇
このエピソードは「福島正則が左遷させられたのは、宮島の天狗に逆らったから!(=宮島の神様はすごい!という主張)」という後付けのエピソード。福島正則が嫌われたのは、藩主になると寺社の領地を一旦取り上げて、再配分という名の「没収して減らす」という政策をとったから。神社・寺側から見ると福島正則は「神仏を軽んじるとんでもないやつ」ということになります(神官や僧侶が俗物的という言い方のほうが自然だけどね)。だから、インフラ投資や文化振興(=寺社仏閣の修繕を含む)を行なっているのに、変なエピソードが残り、地元にも印象が薄いわけです。

その一方で、広島の「毛利第一主義」というのがあるんじゃ無いかと思います。広島はどうも、福島正則、その後の浅野の時代になっても「毛利こそが支配者」みたいな感覚があるんですよね。現代でも「そこまで毛利を押さないでも…」と思う。

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