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太夫戻岩
福島正則と太夫戻岩
江戸時代に入り、広島藩主は毛利から福島正則になります。福島正則は広島城を修理したことにイチャモンをつけられて、左遷されて、浅野が藩主になります。それは置いておいて。
福島正則は広島藩主となって、宮島の弥山に登ります。宮島にはいろんな法度(=ルール)がありまして、その中に仁王門の向こう側に未の刻(午後1時から午後3時)以降に登ってはいけない!ってのがありました。登ると弥山に住む天狗の祟りがあるとされていたんです。福島正則はその法度を破って、登ろうとしたところ、大きな岩があって進むことが出来ず、下山したというのです。その岩がこの「太夫戻岩」。
福島正則は広島藩主となって、宮島の弥山に登ります。宮島にはいろんな法度(=ルール)がありまして、その中に仁王門の向こう側に未の刻(午後1時から午後3時)以降に登ってはいけない!ってのがありました。登ると弥山に住む天狗の祟りがあるとされていたんです。福島正則はその法度を破って、登ろうとしたところ、大きな岩があって進むことが出来ず、下山したというのです。その岩がこの「太夫戻岩」。
福島正則と宮島
福島正則は平家納経を修繕したり、能舞台を常設にしたりと、宮島の文化振興にかなり尽力しているし、商業・交易にも力を入れています。だから、こんなエピソードが残るって、なんだか可哀想。
福島正則はなんだか不遇
このエピソードは「福島正則が左遷させられたのは、宮島の天狗に逆らったから!(=宮島の神様はすごい!という主張)」という後付けのエピソード。福島正則が嫌われたのは、藩主になると寺社の領地を一旦取り上げて、再配分という名の「没収して減らす」という政策をとったから。神社・寺側から見ると福島正則は「神仏を軽んじるとんでもないやつ」ということになります(神官や僧侶が俗物的という言い方のほうが自然だけどね)。だから、インフラ投資や文化振興(=寺社仏閣の修繕を含む)を行なっているのに、変なエピソードが残り、地元にも印象が薄いわけです。
その一方で、広島の「毛利第一主義」というのがあるんじゃ無いかと思います。広島はどうも、福島正則、その後の浅野の時代になっても「毛利こそが支配者」みたいな感覚があるんですよね。現代でも「そこまで毛利を押さないでも…」と思う。
福島正則はなんだか不遇
このエピソードは「福島正則が左遷させられたのは、宮島の天狗に逆らったから!(=宮島の神様はすごい!という主張)」という後付けのエピソード。福島正則が嫌われたのは、藩主になると寺社の領地を一旦取り上げて、再配分という名の「没収して減らす」という政策をとったから。神社・寺側から見ると福島正則は「神仏を軽んじるとんでもないやつ」ということになります(神官や僧侶が俗物的という言い方のほうが自然だけどね)。だから、インフラ投資や文化振興(=寺社仏閣の修繕を含む)を行なっているのに、変なエピソードが残り、地元にも印象が薄いわけです。
その一方で、広島の「毛利第一主義」というのがあるんじゃ無いかと思います。広島はどうも、福島正則、その後の浅野の時代になっても「毛利こそが支配者」みたいな感覚があるんですよね。現代でも「そこまで毛利を押さないでも…」と思う。
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