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千体不動とは
名前千体不動
場所大聖院の勅願堂
関係波切不動明王像・三十六童子など
創建平成10年
大聖院の入口の門をくぐると右手に観音堂(大聖院)があり、左にはお守りなどを売っているところがあります。その間をまっすぐ進むとあるのが勅願堂。勅願堂の中には本尊の波切不動明王像があり、波切不動明王像を取り囲むように千体不動・三十六童子が配置されています。薄暗い勅願堂内は独特の雰囲気です。
場所大聖院の勅願堂
関係波切不動明王像・三十六童子など
創建平成10年
大聖院の入口の門をくぐると右手に観音堂(大聖院)があり、左にはお守りなどを売っているところがあります。その間をまっすぐ進むとあるのが勅願堂。勅願堂の中には本尊の波切不動明王像があり、波切不動明王像を取り囲むように千体不動・三十六童子が配置されています。薄暗い勅願堂内は独特の雰囲気です。
吉田正裕氏の座主就任記念
千体不動と三十六童子を勅願堂に安置するのは77代大聖院座主の吉田正裕の座主(ザス=大聖院のトップのこと)就任の記念事業として始まったものです。ちなみに吉田正裕氏が座主に就任したのは平成10年の12月。それまで勅願堂には波切不動明王像くらいしかなかったわけです。
群馬県太田市に明王院(呑嶺山明王院安養寺)というお寺がありまして、そこには江戸時代(1747年)に作られたとされる、千体の不動明王像がピラミッド型に配置された「千体不動塔」というものがあります。多分、そこからヒントを得たんでしょうね。勅願堂が戦国時代から波切不動明王が安置してあったようですし、不動つながりで。
●ちなみに千体不動は一体30000円の布施だそうです。
●勅願堂は平安時代に鳥羽天皇の勅願道場として開かれた、とされます。
●勅願堂は平安時代に鳥羽天皇の勅願道場として開かれた、とされます。
群馬県太田市に明王院(呑嶺山明王院安養寺)というお寺がありまして、そこには江戸時代(1747年)に作られたとされる、千体の不動明王像がピラミッド型に配置された「千体不動塔」というものがあります。多分、そこからヒントを得たんでしょうね。勅願堂が戦国時代から波切不動明王が安置してあったようですし、不動つながりで。
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