波切不動明王像…大聖院勅願堂にある本尊

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波切不動明王

名前波切不動明王
場所大聖院勅願堂
関係千体不動三十六童子

勅願堂内が暗くてよくわかりませんが、波切不動明王像です。江戸時代まで厳島神社に祀られていた十一面観音菩薩が神仏分離で大聖院観音堂(大聖院)に異動したために、観音菩薩が大聖院の本尊っぽいですが、波切不動明王が本尊。堂内には三十六童子千体不動があり、独特の雰囲気があります(大聖院が独特なんですけどね)。

そもそも波切不動明王とは

弘法大師(空海)が中国の唐に留学生として渡り、恵果阿闍梨(=恵果が名前、阿闍梨は地位)に教えを賜り、日本に伝えるために帰国しようとした時でした。船は嵐に見舞われます。これはやばいな、と思った時、空海は恵果阿闍梨からもらった霊木を一刀三礼(彫るたびに三回礼をするくらいに敬虔な気持ちで彫ること)で不動明王を彫り上げます。すると、彫りあがった不動明王像から火が放たれ、剣で嵐の荒波を切り、無事に日本に帰国しました。
その経緯から特別に「波切不動明王」と呼ぶようになりました。空海が彫った不動像は高野山の波切不動尊南院に安置しています(秘仏で一般公開はされていない)。
●波切不動は全国に祀られている。その元ネタが波切不動尊南院。
●不動明王と波切不動明王に「差」はない。

波切不動が勅願堂にある経緯

朝鮮出兵
文禄元年(1592年)に豊臣秀吉が朝鮮出兵します。その時に海上安全のために船に波切不動明王像を乗せていきます。朝鮮出兵は文禄2年(1593年)に休戦し、帰国します。文禄2年(1593年)に波切不動明王像は大聖院に持ち込まれた、らしい。
●休戦協定後、秀吉は明に幾つかの条件を提示しましたが、明は拒否したため慶長2年(1597年)に慶長の役が始まる。
●豊臣秀吉は千畳閣の建設もしているし、大聖院で連歌会をしているので、繋がりがある。
●波切不動明王が空海つながりで、真言宗の寺の大聖院にやってきたのだろうと思います。

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