三翁神社(サンノウジンジャ)

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三翁神社(サンノウジンジャ)

中央の祭神
佐伯鞍職(サエキノクラモト)
安徳天皇
所翁
二位尼(ニイノアマ=安徳天皇とともに死んだ清盛の妻)
岩木翁
大綿津見命
左殿の祭神(向かって右)
大己貴神(オオナムチ=大国主・大物主)
猿田彦神(サルタヒコ)
右殿の祭神
御子内侍・竹林内侍・徳寿内侍の各祖神

場所
厳島神社の裏。

山王から三翁

三翁神社が「三翁神社」と呼ばれるようになったのは明治以降の話で、それまでは「山王社」と呼ばれていました。山王社というのは比叡山延暦寺系の名前です。「伊都岐島社千僧供養日記」という本に「比叡山の社壇だよ」と書いてあるのがどうやらこの山王社なんです。それがどうして現在の「三翁社」になったのかというと…おそらく明治維新の廃仏毀釈の流れの中で「仏教要素を排除しないとヤバイ」となって、

『延暦寺由来の「山王」じゃマズイ。よし!音はそのままに「三翁神社」にしちゃおう!』

ということで「三翁神社」になったのだと思われます。

三翁神社は歴史的価値の高い神社

しかし延暦寺関係の仏教由来の社だからといって歴史的価値がないというわけもなく、むしろ歴史的価値はかなりある神社です。

厳島神社の古い形式を残しているとも
神社内には三つの「殿」が見えますよね。
実は厳島神社の本殿とか客神社の内部ってのは、ああいう小さな殿が数個連なっていて、それをあの真っ赤な本殿で囲っているのです。もちろん本殿の内部は外部からは見えないんですよ。それで厳島神社はそもそも(12世以前)こういう「殿」がいくつも連なった現在の三翁神社の形式だったんじゃないか?と言われています。
●ただし三翁神社が現在の形式になったのは江戸時代初期。よって古い時代から現在のあり方というわけじゃないです。
●江戸時代初期に、紅葉谷にあった御霊社(平清盛・安徳天皇・二位尼を祀っていた)が合祀されています。

三翁神社は歴史のある神社
「伊都岐島社千僧供養日記」は12世紀の本ですから、この時に三翁神社(=山王社)はすでにあったわけです(12世紀に創建では無くて、すでにあった)。この三翁神社がその時、何を祀っていたのか、由来はなんなのかは分かりませんが、かなり古い神社であることは間違い無いんです。

余談

日本は仏教が渡来してきて、それから古事記や日本書記が編纂されたので神道そのものも仏教の影響を受けているんですね。奈良・平安の時代に神道と仏教が融合し、切り離せないくらいに合体しているんです。だから神道と仏教がごっちゃになっていることは、日本の歴史の中では「当たり前」なくらいです。比叡山関係の社なんて今の日本の宗教観(神仏が分離している)では意味不明ですが、当時としては当たり前でした。むしろ現代の宗教観は日本の歴史の中では特殊なんです。

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