江戸時代の厳島神社の廻廊と絵馬

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江戸時代の厳島神社の廻廊と絵馬

まとめ
●江戸時代には厳島神社の回廊には絵馬が掲げてあった。
●拝観者がその絵馬を見ていた。
●現在は千畳閣に掲げている。
●拝観者は裸足で歩いていた。

芸州厳島図会

江戸時代末期に成立した芸州厳島図会には、東回廊西回廊か分かりませんが、回廊の上部に掲げてあって、そこを拝観者が見上げています。観光の一つの目玉だったようですね。
●馬は神に願いを届けるもので、貴船神社では黒い馬を奉納すると雨が降り、白い馬を奉納すると晴れになるとされていました。絵馬はその奉納の簡略化。
●イラストには黒い馬の絵馬が見られますね。
●イラストの左端には「廻」の文字。島巡りの額のよう。これも現在の千畳閣大元神社で似たようなものが見られます。

裸足で拝観していた
しかも拝観者はどうやら裸足。
昔は現在の入り口で、草履を脱いで、それを出口まで持っていく役目の人がいて、出口で受け取るようになっていました。
参考現在は厳島神社の床板は二重になっているので靴で拝観できます。
厳島神社の回廊の床板は二重になっている

厳島図会によると…
厳島図会によると、庶民から大名まで厳島神社に献上していて、客神社・拝殿・東回廊西回廊に「隙間なく絵馬が掲げてあった」、そうです。絵馬の大きい物は縦9尺(2.7m)横1丈2尺(3.6m)か1丈3尺(3.9m)ほど。かなりの大きさです。それらの絵馬は名筆・名画だと書いてあります。つまり、書画の上手い人の絵馬が掲げられて、拝観者はそれを見て楽しんでいたってことになります。

その名画というのが、古法眼元信(=狩野元信)の牛若、狩野常信の七福神、狩野左近の馬、狩野尚信の羅城門、土佐某?の三十六歌仙、連歌師の山崎宗鑑の歌の書、土佐家が歌仙会をした歌を京都聖護院門跡道澄親王が書いたもの、また、石川左近という江戸時代の人物の書もあったそう。
さらに「枚挙にいとまがない」とも書いてあるので、他にもかなりあったよう。なにせ回廊に隙間なくあったってんだからそりゃそうでしょう。

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