経の尾(キョウノオ)…平清盛が経筒を埋めた場所

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経の尾(キョウノオ)

平清盛が一字一石の法華経を刻んで納めたとされたのが「清盛塚」。その清盛塚がある尾根を現在は「経の尾」と呼んでいます。お経がある尾根のことです。当然、この「経の尾」というのは後々の通称で、平安時代には「西崎」と呼ばれていました。西というのは当然「厳島神社の西」という意味でしょう。

宮崎と西崎

厳島神社を挟んで向かいにある現在の千畳閣豊国神社)の丘は現在では「塔の岡(トウノオカ)」と呼ばれています。塔ってのは「五重塔」のことで、五重塔は室町時代(1407年)にできたものですから、この名前は平安時代には当然なく、平安時代には「宮崎」と呼ばれていました。この「宮」は「厳島神社」のことでしょう。
●五重の塔が1407年に出来たと言うのは江戸時代の書物に書かれているものですが物証はない。

厳島神社が造営され、千僧供養が行われた時は、西崎の先から宮崎の先まで海上に棚を設けて松明を点灯させたとと書かれています。この二つの岬は厳島神社を囲い、厳島神社を東西の風から防ぐ大事な「暴風施設」とも言われます。

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