スポンサードリンク
豊国神社
千畳閣は通称
江戸時代までは仏教施設だった
江戸時代まで、宮島の千畳閣は大願寺というお寺の関係施設で、「大経堂」というお経を読む場所でした。つまりバリバリの仏教施設です。それが明治維新後の廃仏毀釈の流れの中で、大願寺から独立というか切り離されて、「豊国神社」に切り替えてしまいました。
豊国神社になったのは、豊臣秀吉が千畳閣を建てたからです。
豊国神社になったのは、豊臣秀吉が千畳閣を建てたからです。
●豊国神社(=千畳閣)にしゃもじを奉納して「敵を召し取る」と縁起をかついだのは、豊国神社が「天下人の豊臣秀吉」と「勇猛の名を馳せた加藤清正」を祀った神社だからです。詳細は「千畳閣の柱はなぜ傷だらけか?」を。
千畳閣を守るために生まれたのが豊国神社
つまり豊国神社というのは…
明治の廃仏毀釈の中で、このままでは千畳閣は打ち壊されるか、もしくは朽ちていくかしかない、それでは困る、ではどうするか?
「ようし!豊国神社ということにしてしまえ!」
という経緯で生まれた神社なんです。
明治の廃仏毀釈の中で、このままでは千畳閣は打ち壊されるか、もしくは朽ちていくかしかない、それでは困る、ではどうするか?
「ようし!豊国神社ということにしてしまえ!」
という経緯で生まれた神社なんです。
スポンサードリンク